<金口木舌>中曽根政治がもたらしたもの


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 1949年4月の衆院本会議。若い保守政治家が「われわれは新憲法を制定して戦争放棄を宣言した」「絶対平和主義と中立堅持は八千万民族の決意」と憲法擁護の弁をぶち、吉田茂首相の姿勢をただした

▼発言の主が先日他界した中曽根康弘氏と聞けば驚く人もいよう。52年の衆院予算委員会でも警察予備隊創設に対して「憲法違反の疑いがある」「民主主義の根底が破壊される」と批判した
▼97年、宮澤喜一氏との対談で米国の占領政策への抵抗を込め、中立堅持の演説をしたと回想した。「今の憲法が果たした役割は、非常に大きなものがあった」とも語った。自主憲法制定を掲げ続けた政治家の意外な一面である
▼防衛庁長官として沖縄を訪れたのは70年10月。沖縄県祖国復帰協議会は自衛隊配備をもくろむものと受け止め「即時退島」を突き付けた。タカ派政治家への警戒感である
▼戦後5位の長期政権で中曽根氏は自主防衛強化を論じつつ、日米同盟を強化した。その路線を引き継いだのか。在職日数憲政史上最長の安倍政権は新基地建設と先島への自衛隊配備を推し進める
▼2008年の夏、親交のあった浅利慶太氏率いる劇団四季の創立55年パーティーでその姿を見掛けた。青年将校、風見鶏、大勲位という異名を持つ政治家が放った存在感を思い出しつつ、中曽根政治がもたらした沖縄の桎梏(しっこく)を考えている。