<金口木舌>沖縄とハワイ、姉妹都市35年


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 1985年6月7日、米首都ワシントン近郊にある国防総省。西銘順治知事はワインバーガー国防長官と面談し「沖縄の基地問題解決のため熱心に取り組んでほしい」と要望した。日本の自治体首長と国防長官との会談は極めて異例だった

▼実現に奔走したのはハワイ県系人、当時49歳の東恩納良吉さんだ。基地問題改善のため訪米行動を模索していた西銘知事からの依頼で、日系でハワイ選出の上院議員に掛け合った
▼東恩納さんは45年の沖縄戦を住民として体験した。12歳でハワイに渡り、米軍将校の立場で沖縄に戻った。在沖米軍にいた頃、宮森小ジェット機墜落事故の被害者から聞き取りもした。退役後、県人会会長として沖縄との交流に尽力した
▼西銘知事は訪米行動の先べんをつけ、後の知事も続いた。西銘知事はワシントンからハワイを訪れ、沖縄県とハワイ州の姉妹提携を結んだ。14日で締結から35年
▼コロナ禍によってホノルル市で予定していた5月の県人移民120年記念行事は延期され、恒例の沖縄フェスティバルも中止になったが、全焼した首里城への寄付などハワイからの支援は続く
▼コロナ禍の今は別だが、84歳の東恩納さんは頻繁に沖縄を訪れ交流してきた。「私はウチナーンチュ。沖縄のため手伝うことは当然だった」。その思いは双方をつなぐ礎。次世代に脈々と受け継がれている。