<金口木舌>不信感の基底


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 「終戦とともに山野が軍事基地化され、毒ガスが貯蔵され、ベトナム戦争への発進が繰り返される。美里村の姿は沖縄の縮められた姿だ」。1969年10月31日、在沖米軍が貯蔵していた毒ガスの撤去を求める県民大会が美里村(現在の沖縄市)で開かれた。翌日の本紙に登壇者の声が載っている

▼同年7月、基地内でガス漏れ事故があり、毒ガスの貯蔵が発覚した。当時、住民が目にした不可解な事例も報じられている。「演習場近くで住民が皮膚に炎症を起こした」「ウサギが死んでいた」
▼毒ガスは71年に沖縄から撤去された。それから49年、嘉手納基地の火災で塩素ガスが発生した。米軍関係者多数が軽傷を負った
▼基地で保管されていたのは次亜塩素酸カルシウム。プールの消毒などで使用される物質だ。米軍は「基地の外には流出していない」とする。県民はこの物質が保管されていたことを火災によって知った
▼すぐそばに毒ガスがあった当時の恐怖を想起した県民もいるだろう。基地周辺の水源で有機フッ素化合物が検出されている問題もある。普天間基地で同物質が含まれる泡消火剤の流出事故もあった
▼美里村での県民大会参加者が昨年、取材に答えた。「基地の中は見えない。毒ガスだって絶対にないと断言できるのか」。不信感の基底には米軍が情報を隠し、県民を欺き続けた戦後の75年間がある。