<金口木舌>くすぶり続ける怒り


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 「火を付けろ」。路上で数百人の群衆が米兵の車や米憲兵隊のパトカーを取り囲み、叫ぶ。1971年10月、宜野湾市であった交通事故直後の状況だ。酒に酔った米兵が運転する車が女性2人をひき殺した。住民が集まり、加害者の米兵を引き渡すよう憲兵に求めた。普天間署の警察官がなだめ、群衆は散っていった

▼71年の新聞は、この事件だけでなく1月や8月にも似たような状況があったことを伝えている。前年12月のコザ騒動以降も、住民の怒りはくすぶり続けていたことがわかる
▼復帰を前に米軍関係のさまざまな事実も明らかになった。その一つが毒ガスだ。米紙報道で貯蔵が発覚した毒ガスは71年1~9月、米領ジョンストン島に移送された
▼米軍知花弾薬庫にあった毒ガス貯蔵庫の周辺では、ウサギが飼育されていた。ガスの漏出を検知するためだろう。基地従業員は安全を確保するためのマスクも渡されず、そのそばで働いていた
▼当時、従業員だった新垣昇さん(82)が「私たちはウサギやヤギと同じだった」と証言している。50年を経て取材に応じた人々は情報を隠し、住民を欺いてきた米軍への怒りを口にした
▼基地周辺住民は現在も事件・事故だけでなく、有機フッ素化合物による水源の汚染などに悩まされる。人々の怒りは、半世紀前に米軍車を取り囲んだウチナーンチュの叫びと地続きだ。