<金口木舌>「戦後沖縄の申し子」の還暦


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 米軍が伊佐浜、伊江島の土地を強制的に奪った。自民党と社会党が対峙(たいじ)する「55年体制」が始まった。年表の1955年の項目に並ぶ歴史的事件である。そこに「沖縄産業開発青年隊の創設」を書き入れたい

▼創設日は「4月28日」。日本本土と沖縄を分断したサンフランシスコ講和条約の発効から3年後だ。集団生活で若者が技能を磨く青年隊は、あえて「屈辱の日」を創設日とした
▼敗戦後の荒廃と米統治という厳しい環境の中から青年隊は生まれた。設立母体となったのは各地の青年団を網羅した沖縄青年連合会。復帰運動の牽引(けんいん)役でもあった。青年隊は「戦後沖縄の申し子」だったと言えようか
▼「誰れがお前をそのように/講和条約第三条で/身売りされた悲しき島よ」。青年団員の一人は沖縄を哀れみ、詩をつづった。東村の山中にある青年隊は、苦境を打破したいという若者の受け皿となった
▼青年隊で技術を磨き、南米へ移住した若者も多い。新天地での暮らしは楽ではなかった。80年代末以降、移住者の子弟が沖縄で出稼ぎするようになった。青年隊の元役員に感想を聞いたことがある。「胸が痛い」という言葉が返ってきた
▼先日、那覇市内で創設60年を祝う式典があった。希望を胸に立ち上がり、さまざまな困難を越えてきた「戦後沖縄の申し子」は還暦を迎えた。経験豊富な熟年、いい顔をしている。