<金口木舌>首里城で考える


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 こんなふうに首里城を見たことはなかった。6日付本紙に載った約130年前の首里城の写真である。北殿裏の城壁から撮ったのだろう。歓会門や久慶門の背面が写っている。旧米沢藩・上杉家の史料から見つかった

▼歓会門をくぐり、ひたすら正殿を目指すような、せっかちな史跡探訪では世界遺産の魅力は半減する。時には立ち止まり、じっくり見よう。振り返ってもよい。古い写真は首里城の鑑賞法を教えてくれる
▼「琉球処分」から2年後に就任した第2代県令・上杉茂憲(もちのり)の在任時に撮られた。抜本改革か旧慣温存かで沖縄施策が揺れ、日清間でも琉球分割の議論が続いた。この激動期に上杉は県内を視察し、改革による貧農救済を説いた
▼「上杉県令巡回日誌」によると、上杉は1881年11月14日、熊本鎮台が駐屯する首里城を訪れている。雨の中、歓会門で2人の衛兵を見掛けた。世替わりを象徴する光景である
▼上杉家の写真が記録した首里城は静けさを保っている。しかし、沖縄はいや応なく時代の奔流にのみ込まれた。戦禍を挟み、激動は今も続く。それを乗り越える知恵は歴史の中にある
▼先週末、雨のなか首里城を訪ね、北殿裏から見た風景を古い写真と重ねた。この130年は沖縄にとって何だったのか、時には立ち止まり、振り返って考えたい。復元された首里城も指南役を果たしてくれよう。