<金口木舌>「肝苦さん」に包まれた慰霊の日


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 「くゎんまが、まむてぃいちゃびら。ちばらなやーさい(子や孫を守っていこう。頑張ろう)」。19日に那覇市奥武山で開かれた県民大会で、翁長雄志知事はうちなーぐちであいさつを締めくくった

▼うちなーぐちだと、いくばくか思いが強く伝わってくる。23日の慰霊の日、ことしも糸満市摩文仁には多くの遺族らが訪れ、沖縄戦で亡くなった戦没者をしのんだ
▼訪れた一人一人の背景やこれまでの人生に思いをはせると、うちなーぐちでいうところの「肝苦(ちむぐり)さん」の思いを強くする。直訳すると「心が痛い」という意味になろうか。人のつらさや悲しさをわが身のように感じる思いも含まれよう
▼壕の中で生まれた宮里孝子さん(71)=那覇市=は、沖縄戦で親を失い、孤児になった。誕生日も名前さえも分からなかった。結婚するまで戸籍もなかった。苦労を重ねた
▼国策で突き進んだ地上戦で、多くの住民が人生を狂わされた。戦後の米統治下で福祉的恩恵も受けられなかった。亡くなった魂の数だけ「肝苦さん」の経験を重ねた人が今を生きている
▼県民大会では、若者代表で平良美乃さん(23)=浦添市=も「わったーぬぬちん、わらびんちゃーぬぬちん、まじゅんまむてぃいちゃびら」(自分の命や子の命を一緒に守っていこう)と訴えた。戦後71年、広大な米軍基地は残り、今も命を守る闘いが続いている。