<金口木舌>コザを語り、飲んだ日々


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 コザの顔と呼ぶべき経済人が逝った。新里酒造社長の新里修一さん。突然の訃報に言葉もない。63歳、まだ若いのに、とため息が出る

▼初めてお会いしたのは22年前。会合の席をくまなく回り、笑顔で酒を振る舞う姿は、伝統ある酒蔵の若旦那という風であった。「実は那覇の生まれなんですよ」という話にはっとしたが、そもそも新里酒造は首里が発祥の地である
▼1988年、沖縄市に工場を構えた。誘致に尽くしたのは市職員の粟国安雄さん。観光協会に集う若い経済人も、市唯一の酒蔵を支えた。中の町などの盛り場で売り込み、飲んだ。当方も飲むだけなら少しは貢献した
▼家業を継ぐまでは国税庁の職員であった。沖縄国税事務所の鑑定官だった80年代末、泡の管理に手間取る従来の酵母から「泡なし酵母」の分離と実用化に成功した。この酵母は泡盛業界で広く普及している
▼功績のおかげだろう。芸人の照屋林助さんを大統領にいただく「コザ独立国」で科学技術庁長官を拝命した。粟国さんは大統領補佐官。遊び心にあふれた独立国でコザの明日を語り、杯を傾けた
▼照屋さんと粟国さんが先に逝き、新里さんが続いた。葬儀の香典返しは泡盛の2合瓶だった。今年のピースフルラブ・ロックフェスティバルでも新里さんのお酒が出る。コザの明日を語り合い、杯を交わすことで、あの笑顔に報いたい。