<金口木舌>移民と引き揚げ


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 第2次世界大戦の敗戦で戦前の海外移民の中には「石もて追わるるごとく」の引き揚げを余儀なくされた人々がいた。そんな人たちが引き揚げ後、収容された施設の一つが沖縄市高原にあった

▼旧満州、サイパン、フィリピンなどの戦地を逃れ、または強制送還された移民が収容された。1946年7月に開設されたインヌミ収容所である。今年は開設から70年になる。高原にあった施設も今は跡形もない
▼戦前の移民は20年代の恐慌などによって本格化する。当時、住民の暮らしは脅かされ、食うや食わずの窮乏生活だった。そんな時代を象徴する言葉に「ソテツ地獄」がある。毒のあるソテツさえも口にする生活を強いられた
▼「海外雄飛」のはずが、移民の苦難は続いた。移住地の戦禍に巻き込まれ、築いた生活も放棄せざるを得なかった。着の身着のまま郷里へ戻る。「さて、どう生きるのか」。広がる焼け野原を前に、途方に暮れる引き揚げ者の言葉が証言集「インヌミから」にある
▼戦後の生活は裸一貫から始まった。そんな移民と引き揚げ者の姿を伝える企画展が沖縄市の戦後文化資料展示室「ヒストリート2」で開かれている
▼数々の写真に写る引き揚げ者たちは、その後どうなったのだろうか。行く末を案じつつ、目を凝らす。時代に、国策に翻弄され続けた人々が「生きる」ことの原点を問い掛けている。