<金口木舌>英に渡った琉球人の手紙


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 英国の新聞に琉球人の手紙が掲載された。1818年10月2日付「ザ・モーニング・ポスト」だ。浜川仁沖縄キリスト教学院大教授が著書「クリフォード訪琉日記」(不二出版)で紹介している

▼「琉球の真栄平より、我が友イギリス人首長へ」「わたしはイギリス人のことを決して忘れません」「真栄平を、そして貴殿の琉球の友人たち皆を、お忘れめさるな」。真栄平とは、当時の「異国通事」真栄平房昭(ぼうしょう)のこととされる
▼200年前、英国艦隊が琉球を訪れ、約40日間滞在して測量などを行った。ライラ号艦長のバジル・ホールは帰国後、航海記を出版。琉球ブームが起き、真栄平の名前も広まった。その頃の記事だ
▼琉球で真栄平と親しく交流したクリフォードは、単語帳「琉球語彙(ごい)」を作った。琉球に親しみを持ち続け、後に伝道会を設立して琉球に宣教師ベッテルハイムを送った
▼記事に載った手紙は、ローマ字で琉球語を表記しているが、語順は英語のままだ。英文の単語を琉球語に置き換えただけに見える。浜川教授は、クリフォードが架空の手紙を作ったとみる。琉球への熱い思いの表明なのだと
▼那覇市歴史博物館「ウランダーがやってきた!」展会場にこの記事のコピーがある。極東に西欧列強が本格進出する第一歩となった航海。その後の歴史にも思いをはせ、手紙に向き合ってみてはどうだろう。