<金口木舌>心の奥にある古里


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 宜野湾市神山は琉球王府が編さんした地誌「琉球国由来記」に名を残す由緒ある集落であった。1903年12月の県統計は戸数110、馬小屋が73。人口は518人と記録する

▼士族229人、平民289人と区分した時代だ。住民の大半は農家だった。「部落民はよく働くことで知られ、裕福な家庭が多かった」と地域史は記す。主な産物はサトウキビとサツマイモ。家畜も多かった
▼闘牛場があった。1920年代まで綱引き行事も営まれた。盆のころ、若者はエイサーを舞った。そんな神山は沖縄戦で一変する。集落の大半を米軍に奪われ、71年後の今も米軍普天間飛行場の中にある
▼先日、飛行場の金網に接する神山地区の住宅地を訪ねた。金網の向こうに緑地が見える。その先には滑走路が横たわる。集落に戻れぬ住民は金網越しに緑地を見詰め、往時をしのんだであろう
▼米軍基地を維持するため、小さな緑地も取り払うのが政府の仕事らしい。滑走路や駐機場の冠水を防ぐため、沖縄防衛局は旧集落に調整池を造る計画という。返還後、古里に戻りたいという願いを断ち切ってよいのか
▼現代沖縄民謡の祖・普久原朝喜の名曲「懐かしき故郷」は「夢に見る沖縄 元姿やしが/音に聞く沖縄 変てぃ無らん」と歌う。懐かしい神山は夢の中、心の奥にしかない。それすら奪うとは、あまりに無慈悲な仕打ちだ。