<金口木舌>昆布闘争から半世紀


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 辺野古や高江の座り込み現場に響く歌がある。反戦歌の「一坪たりとも渡すまい」だ。具志川村(現うるま市)昆布の土地闘争の中で1967年に生まれた。〈東支那海前に見て/わしらが生きた土地がある/この土地こそはわしらが命/祖先ゆずりの宝物〉

▼昆布集落は太平洋に面しているのに、なぜ東シナ海か。歌詞を作ったのは、昆布土地を守る会会長・佐久川長正さんの四女・佐々木末子さん。当時高校生だった
▼伊江島を訪ねて阿波根昌鴻さんらから土地闘争を学んだことが忘れられず、詞を書いた。1番は島ぐるみ闘争の原点である伊江島で見た東シナ海を描き、2番で昆布の土地を渡すまいとの固い決意を示した
▼今年は昆布闘争から50年。66年1月、米軍が2万1千坪の農地を接収すると通告し、10月から座り込みが始まった。闘争小屋が米兵の襲撃や放火に遭いながらも、県内外からの支援を受けて5年以上も抵抗を続けた。71年夏、ついに米軍は接収を断念する
▼民衆の力で土地を守り抜いた昆布の闘いを振り返る企画展が那覇市の不屈館で開かれている。生々しい文面の闘争日誌や写真が目を引く
▼記念講演で佐々木さんは「農民の粘り強さに米軍は負けた。何の力もないけれど県民の団結があった」と強調した。国や警察権力の露骨な弾圧が強まる今だからこそ、勝利の歴史から学ぶものは多い。