<金口木舌>今と重なる志士の嘆き


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 今月、琉球王国と深い関係にあった中国福州市を訪れた。古い街並みの一角に琉球墓園がある。そこに眠る琉球人の一人、毛有慶の墓に出合った

▼毛は1879年の「琉球処分」(琉球併合)に抵抗した亀川派リーダー亀川盛武の孫・亀川盛棟の中国名だ。毛は84年に清国へ脱出する。琉球に翌年戻るが92年に再び渡清し、93年に福州で33歳の短い人生を終えた
▼毛は幸地朝常や林世功らと名を連ねる救国運動の志士だ。識者によると、祖父の反骨魂や向学精神を受け継ぎ、文武兼ね備えた優秀な若者だったという。中国での請願活動に若い情熱をささげ、謎の死を遂げる
▼日本では当時、渡清は「国法違反」だったため、清から戻った旧琉球士族は次々と逮捕された。毛も一度琉球に戻った際に4カ月間投獄されたが諦めず、むしろ救国の意思を一層強くする
▼その後、首里の自宅でこんな趣旨の詩を詠んだ。「首里の城は、俗っぽく汚れ/魚のうろこのように白く光る武器/桃源郷に行くことができたら、しばらく日本は避けたいものだ」
▼琉球併合後、首里城南殿は武器庫にされた。桃源郷は中国の古典に記された理想郷で、昔の戦国時代に人々が戦乱を避けて移り住んだとされる場所だ。オスプレイ、ヘリパッド、辺野古新基地、自衛隊強化…。毛が今の沖縄に生きていたら、また似た内容の詩を詠んだに違いない。