<金口木舌>歴史に学ぶ地域の魅力


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 商業施設名のライカムやハンビーは元あった米軍施設名が付近の呼称として残った例だ。しかし、米兵が「ハブ・ピット」と呼んだ所があったとは知らなかった

▼北谷町の謝苅交差点から沖縄市向けの県道24号沿いに基地内に入るための通用門がかつてあり、付近がそう呼ばれた。中心や集積地の「hub」のことかと思ったら、猛毒を持つ方だった。戦後は周辺に多く生息していたらしい
▼北谷の人たちに最初の帰郷許可が出たのは1946年10月。移動の本格化は嘉間良にあった村役所が戻った47年2月以降で、ちょうど70年前になる。許されたのは桃原や謝苅など、山あいやハブのいるような原野で、まちづくりは遅れた。多くを基地に取られた「顔のない町」から大規模返還を経て、商業の街へと変わった
▼その北谷町がブランド認定制度を始めた。商工会との連携で特産品を推奨し、ストーリー性を持たせて販路拡大を図る。製品だけでなく、民俗芸能や自然景観も対象にするというからユニークだ
▼最終的に狙うは観光誘客の促進だという。町商工観光課の伊波孝規係長は「町民がいま一度、北谷のいいところを考えるきっかけに」と話す。考える過程で戦後の歴史を学ぶ機会もあるだろう
▼荒れ地を開き、町域を広げた先達に学ぶ。地域への愛着を高めた人たちが、また人を引きつけることになるに違いない。