<金口木舌>ありがとう、名護市営球場


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 手書きの文字。得点が入ると手作業で入れ替えられるスコアボード。県内でも電光掲示板が主流になる中、今も残る「昭和感」がファンには人気だった

▼北海道日本ハムファイターズが1軍キャンプを行う名護市営球場だ。40年前の1977年に開場した。沖縄初のプロ野球キャンプ地として、日ハムが利用を始めたのは翌78年だ
▼古い施設には「味」がある。だが、老朽化に伴い、球団や利用者から設備の充実を求められるのも致し方ない。新築を前提に、現在の球場は3月から取り壊しが始まる
▼「ファイターズを支えてもらった。選手もいろいろな思い出があると思う」。日ハム1軍の2次キャンプが始まった12日、栗山英樹監督が思いを語った。球場への愛着を感じた。日本一の球団に見送られて球場も幸せだろう
▼プロ野球のキャンプだけではない。名護市営球場は北部地域の野球の「聖地」として親しまれてきた。関係者によると、学童野球の選手にとってこの球場の黒土でユニホームを汚すことは憧れでもあった
▼25日のセレモニーで名座喜少年野球の久高凌将(りょうま)主将は「ここでのプレーを思い続けてきた。(新球場では)優勝旗を持ってダイヤモンドを一周したい」と決意を述べた。3年後に生まれ変わる。さらに多くの子どもたちがユニホームを汚しながら夢を追い掛けるに違いない。