<金口木舌>県民はもうだまされない


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 1873年、琉球国に衝撃が走った。日本と清国が琉球をどちらか一方に帰属させる交渉を北京で行ったとの情報が入ったのだ。在日琉球使節の与那原良傑(りょうけつ)は、北京から東京に戻った副島種臣外務卿に帰属交渉の有無を聞く

▼すると副島は「していない」ととぼけた。それでもしつこく琉球の国体維持を請う与那原に「琉球の国体政体は永久に変更しない。清国との関係も従来通り」と約束する
▼与那原は副島に感謝するも、念のため確認文書を取り付けた。しかしその後、約束は完全にほごにされる。約束は併合を進めやすくするため、琉球を懐柔するパフォーマンスにすぎなかった
▼川田司外務省沖縄大使は、米軍普天間飛行場の5年内運用停止を求めた県議団に対し、政府が対米交渉をしたかは「知らない」と答えた。県議団が「運用停止と辺野古移設は切り離すというのが首相との約束」と詰め寄ると、それらは「結び付いた話」と断じた
▼政府は沖縄側との約束を何度も破ってきた。米側が1997年にオスプレイ配備を提示していたにもかかわらず、2010年まで配備を公に認めなかったことは記憶に新しい
▼川田大使の返答は144年前の外務卿の対応を想起させる。政府の基地政策への「理解」どころか「不信」が募る元凶だ。県民はもうだまされない。辺野古新基地建設反対の世論はその意思の表れである。