<金口木舌>島を生き、語った北島さん


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 大宜見小太郎さんの名作「丘の一本松」のおばあ役が忘れ難い。頑固な親父から逃れるため家を飛び出した良助を、本部の言葉で諭す姿に胸が熱くなった。島人を笑わせ、泣かせてくれた女優、北島角子さんが逝った

▼「島口説(しまくどぅち)」などの一人芝居で平和の尊さを語り、踊った。「人類館」では沖縄差別に翻弄(ほんろう)される女を演じた。言葉と演技が迫真に満ちていた。自身の戦争体験も芸の支えになっただろうか
▼太平洋戦争の最中、北島さん一家が移住地のパラオから日本に引き揚げるために乗った船が魚雷攻撃を受けた。北島さんが戦争体験を振り返り、ラジオで「私は魚雷の食(く)え残(ぬく)さーだよ」と語っていたのを思い出す
▼昨年、一冊の本を編んだ。米在住の写真家・比嘉良治さんが撮った沖縄の砂浜に転がる小石の写真に北島さんがしまくとぅばで名前を付けるという共同作業だ。沖縄の自然、島人への愛情に満ちた名前が並んだ
▼最後にお会いしたのは昨年10月、写真集の出版祝賀会であった。周りに促され、北島さんはカチャーシーを舞った。命と平和を演じ、語り続けた女優の信念を込めた舞であったと思う
▼祝賀会で配った色紙に「此(く)ぬ島に生まり 此の島ぬはなし 縁どぅ縁さらみ な又語ら」と記した。「この島の話、出会いで生まれた縁、共に語り合おう」という北島さんの言葉を沖縄の未来につないでいきたい。