<金口木舌>儀間さんの手


この記事を書いた人 琉球新報社

 大阪を拠点とした版画家儀間比呂志さんが一時、豊見城市内にアトリエを構えていた頃、ちょくちょく琉球新報社にやって来た。迫力ある大阪弁に押されっ放しだった。楽しい思い出だ

▼ジャーナリスト新川明さんとの共著「詩画集 日本が見える」に作家の島尾敏雄さんが序文を寄せている。この中で「大阪弁で呵呵大笑(かかたいしょう)する彼に私は驚いた」と儀間さんとの出会いを振り返っている。やはり圧倒されたのだろう
▼2006年ごろの来訪のこと。にぎやかに話す儀間さんは、手や指が意外にもふくよかで柔らかそうに見えた。彫刻刀を握る版画家の手は、いかついものと思い込んでいた
▼「ふなひき太良」など沖縄の民話を訪ねた絵本や沖縄戦の惨劇を題材とした連作、米軍の圧政に立ち向かう民衆の闘いを力強く描いた作品を生んだ手である。ちょっと触れてみたいという誘惑に駆られた
▼島尾さんは「その画には沖縄の心と肉が鋭く乗り移っているといわなければならない。仮初めの陽気を突き抜け静寂の間合いで息をひそめている」とも書いた。訃報に接し、島尾さんの一文と版画家の柔らかな手がつながった
▼民話を描き、戦場や闘争を彫った柔らかな手は強く優しく、沖縄のちむぐくるを握り締めていたであろう。儀間さんが手放さなかったちむぐくるを引き継ぐことが、残された私たちの役目なのだと思う。