<金口木舌>消えない悲しみ


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 横断歩道を渡っていた中学生が米軍のトラックにはねられ、即死した。信号は青。トラックを運転していた米兵は「信号機の色は太陽の光が後方の壁に反射して識別できなかった」と主張し、軍法会議で無罪となった

▼1963年2月、那覇市で起こった「国場君れき殺事件」のことだ。2002年、国場君の恩師やクラスメートを取材した。「一年十組の花」という1枚の絵がきっかけだった
▼絵を描いたのは、国場君の担任だった國吉澄子さん。01年、クラスメートが初めて開いたクラス会に招かれ、教え子たちから花を贈られた。思いのこもった花が「枯れるのはしのびない」と絵筆を執った
▼クラス会では、学級委員を務めしっかり者だった国場君の思い出を語り合ったという。國吉さんは、横断歩道の真ん中に花束を生けた花瓶を置き、右下後方に信号機を描いた。国場君は確かに青信号を守ったのだ、と
▼絵を前に話を聞いた時、國吉さんは「この子も一緒にこの場に居させてあげたくてね」と声を詰まらせた。事件から40年近くたっても悲しみが消えることなどない。胸が締め付けられた
▼日本復帰から45年を経ても、米軍基地に関連する事件事故が後を絶たない。悲しみを繰り返さないため、どうすればいいのだろう。県民は何度も重い気持ちを振り払いながら前を向き、模索し続けている。