<金口木舌>イジュの花と沖縄戦


この記事を書いた人 琉球新報社

 梅雨のやんばる。霧がかる山々で、季節を告げるイジュの白い花がかれんに咲き誇る。新緑の中で、満開の花が樹冠を覆う。そのさまは、雪景色にも例えられる

▼「いじゅの木の花や あんきよらさ 咲きゆり(イジュの木の花はあんなに清らかに咲いている)」。「辺野喜節」の一節だ。「わぬもいじゅやとて 真白咲かな(私もイジュのように白く美しく花を咲かせたい)」と続く
▼国頭村の辺野喜区には、その歌碑が立つ。字誌(1998年発行)を開くと、イジュの花は「故郷の山河を代表する存在」で、この土地では「柔らかい水が多くの美人を育て、その美しさは常に白い伊集(いじゅ)の木の花に例えられてきた」とある
▼6月は、沖縄にとって「鎮魂」の月でもある。23日の「慰霊の日」は沖縄戦で組織的な戦闘が終わった日とされる。多くの住民の疎開先となった北部の地にも戦火は及んだ
▼辺野喜の字誌は記す。1945年1月22日、初めて米軍の空襲を受け、村の半分が焼き尽くされた。3月22日に2回目の爆撃。区民は山に避難し息を潜めた。「戦々恐々とおののき震え、生き地獄さながらの避難小屋生活を余儀なくされた」
▼区民が、出身者の説得を受けて山を降りるのは7月中旬以降だ。72年前も雨が降りしきる山で、真っ白な花が咲いていたのだろうか。イジュの花を見ながら、思いをはせる。