<金口木舌>完食から見えること


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 「完食」という言葉をよく耳にするが、割と新しい言葉らしい。テレビ番組の大食い選手権などで大量の料理を食べ切ることを司会者がそう表現したことから、一般的になった

▼数年前、「小学校でクラス全員が1年間給食を完食した」という記事について、社内で少し議論したことがある。児童の頑張る姿を伝えようと掲載しているが、少し引っ掛かることもあった
▼議論では「そもそも、自分の食事を全部食べたという話を、紙面で紹介する必要があるのか」「体調や食べられる量などに個人差がある。全員完食という形に問題はないか」との意見が出た
▼現場の教師に聞くと「家で好きな時に好きなものを食べ、基本的な食事の習慣ができていない児童もいる。特に低学年の児童に、時間内に食べてもらうのに苦労している」との答えが返ってきた
▼「全員完食」に取り組むのも、目標を持たせる方法の一つとのこと。一方、食べ物が手に入らない時代があったことや、世界中で飢えに苦しむ子どもがいる現実、食べ物の大切さを伝える難しさもある、という話もあった
▼クラスに、1日の食事を給食だけに頼っている子がいる可能性もある。飽食の時代と言われるが、「完食」から見える問題は多様で重い。食べることは生きること。学校任せにするのではなく、社会全体で真剣に向き合わなければならない。