<金口木舌>少年の頃、土に埋もれた手りゅう弾と銃弾を見つけた。那覇市内の・・・


この記事を書いた人 琉球新報社

 少年の頃、土に埋もれた手りゅう弾と銃弾を見つけた。那覇市内の林で遊んでいた時だ。戦後半世紀になろうとしていた。その場には現在、集合住宅が立ち並ぶ

▼沖縄戦で使用された爆弾のうち1万トン程度が不発弾になり、今も推定約2千トンが残る。全ての処理に約70年を要する。戦後この方、命が脅かされる状況が続く
▼1974年3月2日、那覇市小禄で不発弾が爆発、幼児を含む死者4人、重軽傷者34人を出した。2009年1月14日、糸満市小波蔵で水道管工事中に爆発し、作業員が重体に。自ら無邪気に触れていたことを振り返ると凍りつく
▼70年前のきょう、戦後最大の事故が伊江島で起きた。米軍弾薬処理船(LCT)に積んだ不発弾などが爆発し、居合わせた連絡船の客や出迎えた島民、乗員らを巻き込み102人が死亡、76人が負傷した
▼当時6歳の金城正子さん(76)が自宅外に出ると、空を焦がす勢いで真っ赤な炎と黒煙が上がっていた。焼け焦げた死体を背負った人が何人も歩いていた。沖縄戦を生き抜いた人々を再び地獄にたたき落とした
▼昨年、事故を語り継ぐ会で金城さんが嘆いた。「8月6日といえば(原爆の日の)広島は沖縄の人にもよく知られているが、伊江島の爆発事故は知られていない」。慰霊祭は6日午後3時半、伊江港内慰霊碑で執り行われる。この悲劇を忘れてはいけない。