金口木舌(2010年3月8日)

 1930年前後の上海はアジアを代表する国際都市として繁栄した。だがその実態は、英米仏日など帝国主義列強の中国侵略の拠点だった

▼一方、この都市は抵抗運動の拠点でもあり、欧米諸国の知識人を引きつけた。尾崎秀実、スメドレー、ゾルゲはこの時期、上海で親交を結んでいる。彼(彼女)らに共通の知人が中国を代表する思想家・魯迅だ
▼一糸まとわぬ姿で眼を閉じ子どもを差し出す母親―。ドイツの著名な芸術家ケーテ・コルヴィッツの木版画「犠牲」は1931年、ドイツから遠く離れた上海で魯迅によって紹介された。一連の作品は列強の支配に苦しむ東アジアの人々を勇気づけた
▼ケーテの「犠牲」は今、佐喜眞美術館にある。北京魯迅博物館長の孫郁(そんいく)さんが先日来県、佐喜眞美術館所蔵のケーテ作品を来年にも北京で展示しようと計画している。なぜケーテの出身地ドイツではなく、沖縄から借り受けるのか
▼「沖縄は東アジアの近現代史を考える上で重要な場所」だと孫さん。支配者が描く歴史ではなく、常に犠牲を強いられる弱者の怒りと悲しみの記憶、そして未来を信じて立ち上がろうとする精神が沖縄にあるからだという
▼「これら(の作品)が全世界に広められてほしい」というケーテの願いは魯迅によって受け止められ、時を越えて沖縄から再びアジアに発信されようとしている。