金口木舌(2011年10月9日)

 那覇市の松山公園に3人の乙女の銅像が緑に囲まれ立っている。銅像は67年前まで、そこに「県立第二高等女学校」があったことを物語る。1944年10月10日の大空襲で校舎は灰じんに帰した

▼「空襲の光景はきのう、おとといのように覚えている。戦争映画を見た夜は、米軍機に追われる夢を見る」。第二高女で学んだ女性は、大空襲の恐怖を決して忘れない。崩れ落ちる橋、右往左往するお年寄り。夕刻、隠れていた墓から出て目にした焼け焦げた街の姿も
▼「10・10空襲」は5カ月後に始まる壮絶な地上戦の前触れとなる本格的な空襲だった。以後北部に列を成して疎開する住民が目につくようになる。那覇は家屋の9割が焼失。県内各地、奄美大島にも被害は広がった
▼本土復帰前の71年の「10・10空襲」の日に、当時の平良良松那覇市長が35年から途絶えていた那覇大綱挽を市制50周年記念事業として復活させた。起源を琉球時代にさかのぼる伝統行事。復活を喜び県民は高揚感に包まれた
▼中央政局は混迷を深める。大綱挽の翌週に始まる「沖縄国会」で沖縄返還協定が強行採決された。平和を願い焦土を粘り強く復興させてきた県民に時折、牙をむく政治。そんな歴史が繰り返されてはなるまい
▼きょうは大綱挽。綱は和、団結・協同の象徴だ。悠久の歴史に思いをはせ、大空を仰ごう。空襲の犠牲者を忘れぬためにも。