<金口木舌>変わらぬ問い掛け


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 東京の人の目にはどう映ったのだろうか。県内全市町村の代表らによるオスプレイの配備撤回を求める東京行動のことだ。1972年の日本復帰から41年。今なお基地重圧の苦しみを訴えざるを得ない現実は悲しい

▼「何のかんばせ(顔)あって相まみえんや」。後の県知事で、61年当時立法院議員だった平良幸市氏は、米国の招待で沖縄を訪問した国会議員団の主体性を疑問視し非難した。95年には大田昌秀知事(当時)が村山富市首相の軍用地強制使用の強硬策に抗議し「沖縄は日本ですか」と問うた
▼屋良朝苗氏は68年、初の公選主席就任にあたり「沖縄問題は祖国全国民の問題であり、全国民が自分の問題として考えていくよう強く訴えていきたい」と訴えた。その問い掛けは今日においても有効性を失っていない
▼歴史は繰り返されている。東京集会で翁長雄志那覇市長は「沖縄が日本に甘えているのか、日本が沖縄に甘えているのか」と批判した。要請に閣僚の明確な答えはなく、県内配備は変えないとの姿勢がにじむ。誠意なき対応も繰り返される
▼沖縄の声を受け止めぬまま「安全保障への理解」を求める政府。甘えているのはどちらなのか。自らの無理解こそウチアタイして(恥じて)ほしいが、それは無い物ねだりか
▼2月にオバマ米大統領と会うという安倍晋三首相。歴代首相と同様、やはり米側の顔色をうかがうのか。