<金口木舌>力道山の師匠・沖識名


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 今年はテレビが始まって60年。その草創期に活躍したヒーローが力道山だ。必殺技の空手チョップで外国人レスラーを小気味よく倒す姿に、多くの国民が熱狂した

▼日本にプロレスの歴史を切り開いた伝説の男も、50年前の12月8日、暴力団員に刺され、1週間後の15日、39歳で早世した
▼力道山にプロレスを教えたのが、与那原出身でハワイ育ちの沖識名だ。本名は識名盛雄。戦前、米国で強豪レスラーとして名をはせていた。1952年、力士から転向した力道山をハワイで特訓する。毎日、一緒に砂浜を走り込み「太いおなかをいい体にした」と晩年語っている(鳥越皓之著『沖縄ハワイ移民一世の記録』)
▼その後、来日し、師弟はプロレス界発展に尽くす。沖識名が連れてきたシャープ兄弟と力道山との一戦は語り草になっている。50代以上にとっては、20年間務めたレフェリー役の方がおなじみかもしれない。悪役びいきの演出が観客を沸かせた
▼生まれ故郷への思いも強い。敗戦直後、荒廃した沖縄を助けようと、ハワイで救援募金のレスリング大会を開き、救済運動に奔走する。熱い支援を続けた
▼引退後はホノルルで余生を過ごし、83年、79歳の生涯を閉じた。くしくも力道山と同じ命日だった。没後30年。日米沖のために一肌脱いだ沖識名。今、基地をめぐる3者の攻防を見て、誰を悪役とジャッジするだろう。