<社説>翁長氏死去から2年 分断を乗り越える時だ


社会
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 前知事の翁長雄志氏が享年67で死去して2年たった。彼が残した遺志や言葉をいま一度思い起こす必要がある。一層響く現状があるからだ。

 中でも県民が一つになってこそ沖縄の困難は乗り越えられるという信念は重要である。翁長氏は「イデオロギー(政治思想)よりもアイデンティティー(自己同一性)」と述べ、県民の結束を呼び掛けた。
 沖縄は今、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設が政府によって強行されている。それに加え、新型コロナウイルスの感染拡大が命や健康を脅かし、経済は危機的状況で、米軍基地由来の感染も脅威となっている。今こそ県民が一つになって危機を乗り越える時だ。
 翁長氏は本紙のインタビューで超党派の取り組みについてこう語っている。「県民が心を一つにすることが大切だ。何かの時に大きな力を発揮する。本当の敵はどこにいるのか、よく見てやらねばならない。戦後は(保革)両陣営、敬意を表しながら手を握るのも当たり前だった」
 1968年に実施された初の主席公選を機に、沖縄の保守・革新両陣営が激突する枠組みが出来上がった。70年の国政参加選挙で革新4、保守3の7議員が当選する。7人は国政の場で保革を超えて沖縄のために活動した。革新の屋良朝苗主席・県知事時代、予算獲得に奔走したのは西銘順治氏ら自民党議員だった。
 父・助静氏は真和志村長、同市長、兄・助裕氏は県議や副知事と、政治家一家に育った。「基地は県民が持ってきたものではない。『銃剣とブルドーザー』でやられたところで生きる県民が、選挙の度に憎しみ合うことが小さい頃から体に染みついている。何とか乗り越えたい」とも語った。
 翁長氏の目に映っていたのは沖縄が事実上、軍事植民地にされ続けている光景だ。住民を分断して統治する手法は植民地主義の常套手段である。知事として国連人権理事会で「沖縄の人々の自己決定権や人権がないがしろにされている」と訴えた。「腹八分、腹六分」を保革に呼び掛けたのも、分断を乗り越えるためだ。
 葬儀の弔辞で稲嶺恵一元知事は基地問題に触れ「あなたが命を懸けて取り組んだ行動は日本全体に大きなインパクトを与えた。しかしこの問題を進めるには県民が一つになることが重要だ。私たちに残された大きな課題だ」と述べた。今も続く共通課題である。
 死去から約半年後、県民投票によって県民の約7割が「辺野古反対」という自己決定の意思を示し、翁長氏が言い続けた「民意」は決定的となった。だが政府は工事を強行している。県民に「諦め」を誘う分断行為だ。
 世界的コロナ禍は人間の安全保障の在り方を変えた。何年かかるか分からない基地建設に巨額な税金を投じるべきではない。県民はもとより日本、世界全体が人類の存続を懸けて一つになるべき時だ。