<社説>敗戦から75年 日米の犠牲にならない


社会
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 アジア・太平洋戦争の敗戦から75年たった。戦争体験者が少なくなる中で、不戦を誓い、平和を希求する決意を新たにしたい。

 戦争によって沖縄を占領した米軍は、いまだに駐留している。外国の軍隊を沖縄に押し付けて、自らの安全を確保してきた日本の戦後75年の姿はいびつである。
 27年間の米国統治が終わり日本に復帰した際、沖縄は「基地のない平和な島」を切望した。これ以上、日米両国の犠牲になることを拒否する。
 1945年8月15日、昭和天皇が玉音放送で無条件降伏を求めた「ポツダム宣言」受諾の証書を読み上げたことで戦争が終結したとされる。
 実は天皇の判断によって8月10日、国体護持という条件付きで「ポツダム宣言」受諾を決定し、米英ソ中に伝えられていた。しかし、国民に発表するまで5日を要し犠牲は増え続けた。
 日本が10日、スイスに打電したポツダム宣言受諾の電文を沖縄で米通信兵が傍受していた。日本降伏の知らせにカービン銃が空に向け発射され、曳光(えいこう)弾が一斉に打ち上がった。米軍の野戦病院で知った池宮城秀意(後の琉球新報社長)は「万歳」と叫んだ。生きて家族に会えるという喜びで雲にも乗った気分だったという(「戦場に生きた人たち」)。
 しかし、池宮城の高揚感と現実は違っていた。6月に沖縄で組織的戦闘が終結した後も戦闘が続いていた。ポツダム宣言受諾から玉音放送までの5日間、米軍は日本兵を100人以上殺害している。15日以降、久米島で住民が日本軍にスパイ視され虐殺されている。日本は9月2日、降伏文書に調印したが、沖縄の降伏調印式は9月7日だった。
 さらに米軍は、沖縄戦の最中、基地建設に着手。住民を収容所に追いやり建設された米軍普天間飛行場は、8月4日時点で滑走路1本は70%完成していた。
 米国統治時代、沖縄に約1300発の核兵器と大量の化学兵器が貯蔵された。住民は戦争に巻き込まれる危険と隣り合わせの生活を強いられた。
 そして戦後75年の今、安倍政権は敵基地攻撃能力を持った兵器の保有に踏み出そうとしている。専守防衛など憲法の理念から大きく逸脱する。
 専守防衛は、アジア・太平洋戦争で周辺諸国に多くの犠牲を強いた日本が、過ちを繰り返さないという意思表示である。その基本政策をかなぐり捨てることは認められない。
 米国には、核兵器が搭載可能な新型中距離ミサイルを、沖縄をはじめ日本列島に配備する計画がある。
 日本が敵基地攻撃能力を持ち、米国の新型中距離ミサイルが配備されると、沖縄がロシア、中国、北朝鮮の標的にされ核兵器と通常兵器で攻撃される可能性が高まる。
 武力行使によって国民を二度と戦争の惨禍に巻き込まない。75年前の誓いを忘れてはならない。