<社説>激戦地の土砂投入 人道上許されない行為だ


社会
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 名護市辺野古の新基地建設に関し、沖縄防衛局が公有水面埋立法に基づく設計変更を申請してから半年。県の最終判断は年明け以降になる見通しだ。埋め立てに使う土砂の採取場所を県内全域に広げ、その中に本島南部が含まれる。

 沖縄戦で多くの県民が犠牲になった南部は、いまだに遺骨が残り、ボランティアによる収集が続く。遺骨が含まれる可能性のある土砂を、米軍基地建設のために使用することは人道上許されない。日本政府に設計変更の撤回を強く求める。県は今回の変更を許可すべきではない。当該自治体も意思表示してほしい。
 沖縄防衛局は設計変更に伴い、土砂採取場所を離島を含む7地区9市町村と明記した。当初計画は、埋め立て土砂の7割以上を県外から搬入する予定だった。しかし、県外からの土砂搬入には、特定外来生物の侵入を防止するための県条例が適用される。条例適用を避けるため県内全域からの採取に変更したとみられている。県内調達量は当初の約6・7倍となり、その7割超が新たに加わった南部地区(糸満市・八重瀬町)だ。
 遺骨収集を30年以上続ける沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんは「遺骨は石灰岩や土の色と同化している。見た目ではほとんど分からず、手で持った重さでようやく判別できる」と語る。
 重機を使って土砂を採取する際に遺骨が混ざる可能性がある。実際に、新たに採取場所に盛り込まれた糸満市と八重瀬町の採石場で遺骨が発見されている。
 南部は沖縄戦の激戦地として知られる。日本軍は司令部が置かれた首里で降伏せず、1945年5月末に南部に撤退したため、日本軍約3万人、住民約10万人が混在することになった。
 日本兵によるガマ(自然洞窟)からの住民追い出し、食料強奪、乳児殺害、住民虐殺など数々の悲劇が起きた。米軍の攻撃にさらされ犠牲者が増加した。沖縄戦で犠牲になった県民(軍人・軍属含む)の6割が南部の戦闘(5、6月)に集中している。
 1971年12月、衆院沖特委で質問した瀬長亀次郎氏(人民党)は、佐藤栄作首相に南部で犠牲になった人々の白骨写真をかざしながら「沖縄の大地、われわれの同胞の血を吸ったこの大地は、そうして遺骨は土と化しておる」と指摘した。その上で、半年後に迫る沖縄の施政権返還後もほとんどの米軍基地が残ることを批判している。
 瀬長氏の国会質問から半世紀が経過した現在、米軍の基地機能は強化され、民意を無視して日本政府は辺野古新基地建設を強行している。
 そして新基地建設に伴い「同胞の血を吸った」南部から土砂を採取しようとしている。到底県民の理解を得られないだろう。政府は新基地建設を中止し南部を中心に遺骨収集に全力を尽くすべきだ。