<社説>二つの壕アンケート 犠牲強いる国策許さない


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 琉球新報と長野県の信濃毎日新聞が、首里城地下の第32軍司令部壕(32軍壕)と長野市の松代大本営地下壕(松代壕)に関するアンケートを実施した結果、二つの壕を「保存・活用した方がよい」という回答が全体の84%に上った。「平和学習での活用」を求める声が最多で48%を占めた。

 二つの壕に共通する目的は、天皇を頂点とする国家体制「国体」の護持にあった。松代壕が本土決戦に備えて皇居や政府関係機関を移すために造られたのに対し、32軍壕は本土決戦への時間稼ぎのための持久戦の拠点だった。この持久戦で多くの沖縄県民が犠牲を強いられた。
 本来、人の命より勝るものはない。「命どぅ宝」である。人々に犠牲を強いる国策は許されない。戦争は政治の敗北である。戦争体験者が激減する中、今を生きる私たちは戦争の愚かさを後世に永く伝えていく責務がある。そのためにも二つの壕の保存・活用を進める必要がある。
 沖縄戦当時、32軍は首里城地下の壕を拠点に持久戦を展開し、その後放棄した。撤退した南部では軍民混在の激戦となり多くの住民が犠牲となった。32軍の牛島満司令官が自決した1945年6月22日、昭和天皇は最高戦争指導会議のメンバーに和平を考えて具体的に動き出す必要を説いた。沖縄で「出血持久戦」を展開し敗れた後も、国体延命のために和平の道と、松代壕の建設を続け徹底抗戦する道を考えていたのだ。建設は45年8月の敗戦まで続いた。
 松代壕建設に携わった約1万人のうち6千~7千人が朝鮮人だった。朝鮮人に犠牲を強いた歴史も沖縄戦と共通する。沖縄戦研究者の石原昌家沖縄国際大名誉教授は「二つの壕は国体を守るため住民に間接的に大虐殺を強いた動かぬ証拠の現場だ。沖縄戦の被害の実態と結び付けるような捉え方をしてこそ保存・公開の意味がある」と指摘する。
 松代壕が保存・公開されるきっかけとなったのは、修学旅行で沖縄の戦跡を訪れ沖縄戦の悲惨さに衝撃を受けた長野市の高校生たちによる市への保存要望だった。二つの壕を結び付けて考え、戦争という国策の愚かさをいかに伝えていくかが問われている。
 一方、アンケートでは、32軍壕について長野県民の46%が「全く知らない」と回答し、松代壕について沖縄県民の62%が「全く知らない」と答えた。長野、沖縄双方で学び合いをどう進めていくかも課題だ。戦後77年がたち、戦争体験者が減り、語り継ぐ人がいなくなりつつある。このため戦争の実相を物語る壕の存在の重要性は増している。
 二つの壕は戦争を長引かせることの愚かさをも物語る。現在のウクライナ戦争に通ずる、まさに生きた戦争遺跡だ。過重な基地負担を強いられ、有事の際には標的にされる恐れがある沖縄の今後を考える上でも、二つの壕の歴史から学ぶべきことは多い。