<社説>県民大会から20年 尊厳守れぬ現実の直視を


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 静かな憤りに満ちた、あの張り詰めた空気の記憶は今も鮮明だ。あれから20年。変わらぬ現状に、名状しがたい感情が湧く。

 米軍人による少女乱暴事件に抗議するため8万5千人(主催者発表)が結集した10・21県民総決起大会からきょうで20年となった。あの大会で何を誓ったか。あらためて思い起こしてみたい。
 大田昌秀知事(当時)は大会でこう述べた。「行政を預かる者として、本来一番に守るべき幼い少女の尊厳を守れなかったことをおわびします」
 今日はどうか。基地集中は変わらず、住居侵入などの犯罪は今も毎日のように繰り返される。在日米軍構成員の犯罪は例年、47都道府県中30県近くは発生ゼロだが、全体の半数は毎年沖縄に集中する。
 差別の構造は歴然としている。われわれは「尊厳」を守れる状態に何ら近づいていないという現実を、揺るがずに直視したい。
 あの事件では、あれほど悪質な犯罪者であっても、基地に逃げ込めば逮捕もできなかった。大会の視線は日米地位協定の犯罪隠蔽(いんぺい)的在り方にも向けられていたのだ。
 その後、地位協定は「運用改善」された。だが内容は、身柄を引き渡すかどうか、米軍の「好意的考慮」に委ねるというものだ。「考慮」の結果、拒否できるし、現に拒否した例もある。しかも「考慮」の対象は殺人と強姦だけ。放火犯も強盗犯も、基地内での証拠隠滅は今も十分可能だ。複数犯なら、いくらでも口裏合わせできる。正義が実行されない状態もまた当時と何ら変わらないのである。
 大会で決議した「基地の整理縮小」は翌年、米軍普天間飛行場の返還合意をもたらした。だがその合意は今も絵に描かれただけの「果実」で、現実ではない。
 「沖縄の基地負担軽減」はいつの間にか「負担を同じ沖縄に移す」話になった。翁長雄志知事の言うように「強奪した基地が老朽化したから、代わりを差し出さない限り返さない」というのが日米両政府の態度だ。
 大会当時と違うのは、今の政府はそれを恬(てん)として恥じないということだ。20年を経てわれわれは、当時よりひどく傲然(ごうぜん)たる政府と対峙(たいじ)しているのである。
 大会は県民一丸のものだった。新基地建設問題が正念場を迎えた今、政府は露骨に県民の分断を図っているが、結束が力になるという大会の教訓を思い起こしたい。