<社説>認知症事故 社会全体で向き合いたい

 在宅の認知症男性が徘徊(はいかい)中、列車にはねられ死亡した事故をめぐり、家族が鉄道会社に賠償すべきかどうか争われた訴訟で、最高裁は妻に賠償を命じた二審判決を破棄し、免責を認める判決を下した。

 自らも要介護の妻が、わずか10分うたた寝した隙に起きた事故だ。わずかなまどろみさえ許されないのなら理不尽と言うほかない。妥当な判決だ。
 ただ、この判決を経てもなお課題は残る。今回は大企業が対象だったので判決に納得する人は多かろう。だが個人が被害に遭う場合もある。賠償義務が社会のどこにもないとなれば、被害者が全く救済されない恐れも生じる。
 認知症患者の事故を補償する個人賠償責任保険もある。しかし保険料を支払える人とそうでない人で、被害者が賠償を受けたり受けなかったりするのは非合理的だ。
 判決は、同居の有無や日常的な接触の程度などを総合考慮して、賠償責任の有無を判断するとの枠組みを示した。その理屈からすれば、認知症の親族との関係を希薄にすれば責任を負わず、見捨てておけないと考えて懸命に介護した親族は賠償義務を負う。そんな本末転倒のことにもなってしまう。
 やはり同居の家族や被害者だけでなく、社会全体が責任を負う仕組みが必要だ。公的補償の検討が必要との指摘はうなずける。介護保険の範囲が現行のままでいいか、広く議論する必要があろう。
 責任能力のない人の監督義務と賠償責任を定めた民法の規定は、そもそも子に対する親の監督義務を想定しており、認知症の高齢者は法の想定外だった。高齢化の進展で法の不備は鮮明になりつつあり、新たな立法が求められている。
 認知症の人は現時点で500万人以上とみられ、2025年には700万人にも達する。介護施設の慢性的不足を考えれば、安心して在宅介護できる仕組みは時代の要請だ。社会全体で向き合いたい。
 厳格な責任を家族に課すのなら、在宅介護は事実上の監禁となる恐れもある。監視すれば症状はより悪化するともいう。何より過剰な監視は人としての尊厳をむしばむはずだ。
 監禁より外出しても安心な態勢の方が望ましいのは明らかだ。位置情報を把握する機器を配布したり、緊急時に地域ぐるみで捜す訓練をしたりする自治体もある。個人情報に配慮しつつ見守りの網の目を細かくする仕組みを考えたい。



琉球新報