<社説>帝国書院教科書 文科省が「間違い」正せ


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 2007年に公表された文部科学省の教科書検定結果は「集団自決」(強制集団死)の記述に関し「沖縄戦の実態について誤解する恐れがある」として修正を求めた。

 軍関与を断定的に表現しないという新基準を設け、各社教科書は沖縄戦の実相を伝えられない結果になった。沖縄の歴史、事実をゆがめるという意味で、文科省は今、同じ過ちを繰り返そうとしている。
 17年度から使われる高校教科書、帝国書院「新現代社会」のコラムで沖縄経済への事実誤認があった問題は、帝国書院の訂正申請が認められたが、本質的に沖縄への無理解は改められていない。
 この問題で教科書への軍命記述復活を目指す「9・29県民大会決議を実現させる会」は、文科省に帝国書院への再訂正申請を促すよう求めた。しかし文科省側は「完全に間違いという判断に至らなかった」と事実誤認を放置する姿勢だ。
 帝国書院教科書コラムは「誤解する恐れ」どころか、誤解と構造的差別を助長する記述にあふれる。
 「毎年約3000億円の振興資金を支出」「(基地が集中するのは)東南アジアに近く地理的な要衝」「アメリカ軍がいることで、経済効果があるという意見」があり「基地を容認する声もある」。
 コラムの記述は、ネット上に流布するデマと変わらない。それどころか教科書という権威でデマにお墨付きを与えることになりかねない。基地への経済依存度が高いなど一部は修正されたが、まだ明らかな事実誤認は残っている。
 帝国書院は再訂正するかどうか言及していない。ならば「誤解する恐れ」のある記述には、文科省が修正を求めるのが筋であろう。
 教科書検定制度は、適正な教育内容の維持、教育の中立性の確保といった社会の要請に応えるものとされる。適正でもなければ、中立でもない記述は県民の要請に従って直ちに見直すべきものだ。それができないのであれば、検定制度そのものの意義が失われる。
 論語に次の言葉がある。「過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ」。また「過ちて改めざる、これを過ちという」。
 そもそも文科省が検定の過程で、事実誤認に気付いて修正を求めれば、こうした問題は起きなかったはずだ。今からでも遅くはない。文科省は指導力を発揮して、沖縄の現実を反映しない教科書が社会に出ることを止める責任がある。