<社説>報道の自由 過度な忖度を排したい


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 日本の報道の自由が後退したと懸念する声が世界に広がりつつある。懸念を真摯(しんし)に受け止めたい。

 米紙ワシントン・ポスト(WP)は社説で「安倍政権はメディアに圧力をかけるべきでない」と主張した。英誌エコノミストも「報道番組から政権批判が消された」と題した記事で、日本のニュース番組でキャスターが次々降板した事実を紹介した。
 WPの社説は国際NGO「国境なき記者団」のランキングで日本の「報道の自由度」が低下した点にも触れていた。そのランキングの最新版で日本は世界72位に落ちた。2010年は11位だったから、わずか6年での急降下だ。
 理由は三つある。まず特定秘密保護法の制定だ。同NGOは「定義があいまいな『国家機密』が、厳しい法律で守られている」と指摘し、「記者が処罰の対象になりかねないという恐れがメディアをまひさせている」と分析する。
 理由の2番目は「調査報道の不足」、3番目が「メディアの自主規制」だ。メディアの側がクレームに萎縮し、過度に自主規制しているという側面があろう。
 例えばNHKの籾井(もみい)勝人会長は原発報道で公式発表をベースに伝えるよう局内で指示した。同氏はかつて「政府が『右』と言うものを『左』と言うわけにはいかない」とも述べている。政府の言う通りの報道なら「官報」に等しい。批判の声が上がるのもうなずける。
 自主規制だけでもない。首相に近い国会議員からは沖縄2紙への圧力発言が飛び出した。高市早苗総務相は政治的に「公平でない」番組があると放送局に電波停止を命ずる可能性に言及した。抑圧的な政権の意向を過度に忖度(そんたく)し、ますます萎縮するという構図だ。
 WPの社説はこの二つを取り上げ、「日本が戦後成し遂げたことで最も誇るべきは経済の奇跡ではなく、独立したメディアなど自由な機構の確立だ。首相にどんな目標があるにせよ、報道の自由を犠牲にしてはならない」と説く。
 高市氏の求める「公平性」とは何か。例えば街頭アンケートで「景気回復の実感はない」との声が大多数であっても、「実感した」という声と5対5になるように編集せよ。そういう意味ではないか。それを「ジャーナリズム」とは言わない。
 政権の意向を忖度する報道は報道の名に値しない。権力の監視こそ報道の使命だと肝に銘じたい。