<社説>琉球箏曲 文化財に 若手奏者の育成に期待


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 沖縄の宝にまた一つ新たな評価が加わった。文化審議会は「琉球古典箏曲」を「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択するよう宮田亮平文化庁長官に答申した。県内では工芸分野で「壺屋の荒焼」が1977年に選択されたが、芸能分野では初めてとなる。

 「琉球箏曲」は18世紀初頭に稲嶺盛淳が薩摩で習得した十三弦琴の曲を琉球に伝えたことが始まりとされる。
 「琉球箏曲」には器楽曲である「段の物」が7曲あり、「歌物」が3曲ある。このうち「段の物」の一つ「六段菅撹(ろくだんすががち)」以外は本土に原曲が残されていない。その「六段-」も本土で伝承されているものとは異なり、古い形を残すのではないかといわれている。
 19世紀には御冠船踊(うかんしんうどぅい)で琴弾(ことひき)役を務めた仲本興嘉も薩摩で箏曲を学び、子の興斉と共に奏者として活躍。仲本父子が初めて三線と共に演奏し、その後、古典音楽の伴奏楽器として定着したとされる。
 薩摩から伝来し、独自の発展を遂げたのが「琉球箏曲」であり、沖縄の古典音楽に欠かせない主役といえよう。それだけでなく本土で伝承が途絶えたであろう曲の数々が残されていることも重要だ。
 文化審議会は文化庁長官への答申に当たり「わが国の芸能の変遷を知る上に貴重なものである」と指摘しており、沖縄のみならず日本の芸能史を振り返る上でも重要なものと位置付けている。
 協力団体となる琉球箏曲興陽会、琉球箏曲保存会、琉球伝統箏曲琉絃会の3団体には伝統の保護・継承という重大な使命が託される。先人から継がれる10曲を大事にするだけにとどまらず、奏者の育成も大きな課題となる。
 興陽会、保存会の2団体でピーク時に5千人近かった会員は現在約1600人と3分の1ほどに落ち込んでいる。小中学生向けの賞を創設するなど各団体が工夫しているものの、今後も減少に歯止めがかかるかは不透明だ。
 数は少ないが、一部には洋楽との共演など箏の可能性を広げる挑戦をする奏者もいる。
 三線が古典にとどまらず、さまざまなジャンルに広がったように、箏曲も自ら可能性を広げることで目標となる奏者が生まれ、新たな奏者を呼び込むきっかけにもなる。伝統の保持はもちろんのこと、若手奏者の育成にも関係団体全てで取り組むことを期待したい。