<社説>むのさん死去 戦争起こさせない遺志継ぐ


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 反戦を訴え続けたジャーナリストむのたけじ(本名武野武治)さんが亡くなった。

 生前こう語っていた。
 「私の知っている範囲で、軍部と一緒になって旗を振った記者はほとんど見当たらなかった。しかし、戦争が始まってしまってからでは、新聞も政党も思想団体もまったく無力。国家は自分に反対するものは全部吹っ飛ばしてしまいます。抵抗できません。戦争と戦うのであれば、戦争を起こさせないことです」
 むのさんの遺志を、しっかり胸に刻み、戦争への道を許さず、国民の知る権利に応える報道を貫かなければならない。
 「負け戦を勝ち戦と報じ続けてきたけじめをつける」として、1945年8月の敗戦を受け朝日新聞社を退社した。故郷の秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を発刊し、反戦記事を書き続けた。
 むのさんは、従軍記者としてインドネシアに派遣された。「本当に戦争をたくらんだのは昭和13、14、15年に日本社会に巣くった連中だ。われわれは新聞社にいて何も知らなかった」と語り、新聞が本来の役割を果たせなかったことを悔やんだ。戦争が始まると、新聞は萎縮して自縄自縛に陥ってしまった。
 沖縄も例外ではない。国家による「一県一紙」の言論統制によって「沖縄新報」が創刊された。「沖縄新報」は、国家の戦争遂行に協力し、県民の戦意を高揚させる役割を果たした。
 沖縄戦で日本軍の組織的戦争が事実上集結した後、安倍源基内務大臣は「沖縄の戦訓」を発表した。「ことに沖縄新聞社が敵の砲弾下にありながら一日も休刊せず友軍の士気を鼓舞していることなども特記すべきである」と語った。言論統制がうまくいったことが、国家にとって沖縄戦の教訓なのである。
 安倍政権下で特定秘密保護法が施行された。秘密指定の基準が曖昧で市民がそれと知らずに「特定秘密」に接近し、処罰されることもあり得る。報道機関も同様だ。萎縮効果を狙う手法は戦前の言論統制と酷似している。集団的自衛権の行使を可能にした安全保障関連法も施行された。
 平和憲法の下で戦後を歩んできた日本が、再び戦争に向かいかねない事態が進んでいる。今、最も問われているのはジャーナリズムの在り方である。