<社説>車いすラグビー銅 仲里選手に最大の賛辞送る


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 初出場から4回目の五輪での悲願達成である。鍛錬を怠らない、たゆまぬ努力が実を結んだ。

 リオデジャネイロ・パラリンピックのウィルチェア(車いす)ラグビー競技の3位決定戦で、日本がカナダを52-50で下し、銅メダルを獲得した。県内チーム「沖縄ハリケーンズ」に所属する仲里進選手(39)=浦添市=は、日本代表の精神的な柱として活躍し、初めてのメダル獲得に大きく貢献した。
 県勢のメダル獲得は2008年の北京パラ五輪の男子車いすマラソンで銀メダルを獲得した上与那原寛和選手以来となる。仲里選手の快挙を喜びたい。ハリケーンズに所属する乗松聖矢選手(26)=熊本県出身=も攻守で活躍した。
 試合中、仲里選手はベンチでも大きな声を出し続け、士気を鼓舞した。銅メダル獲得が決まった瞬間、大粒の涙を流し、仲間と車いすをぶつけ合い、抱き合う姿に深い感動を覚えた人は多いだろう。
 闘志あふれる戦いぶりと表彰式で銅メダルを掲げる姿は、多くの県民に自信と勇気を与えたに違いない。最大級の賛辞を送りたい。
 20代後半から車いすラグビーを始めた仲里選手は競技に没頭する。
 2004年に初出場したアテネ五輪は最下位に終わる。その屈辱をバネに、その後の五輪に全て出場してきた仲里選手は米国や豪州の強豪チームでも研さんを積み、世界と渡り合えるようになった日本のチーム力向上をけん引した。
 相手に威圧感を与える威風堂々とした「モヒカン」の髪型がトレードマークになって久しい。
 今大会はバランス・ラインの一角で出場し、堅実な攻撃と1対1に強い防御でチームの戦術を安定させた。
 「マーダーボール(殺人球技)」の異名を持つほど、選手のぶつかり合いは激しい。仲里選手が際立つのは、外国人選手に当たり負けしない体の強さだ。相手の主力に体を寄せて進路をふさぎ、味方の反転攻勢につなげる冷静なプレーが光った。
 出場時間は計5試合で26分台と短かったものの、19得点を挙げた。ニュース映像で得点シーンやピンチを防ぐプレーが映ることが多かった。相手に流れを渡さないいぶし銀の存在感が反映しているのだろう。
 自らに妥協せずに精進し続けた仲里選手の不屈の精神力に大いに学びたい。沖縄の誇りである。