<社説>県立芸大30周年 沖縄文化の発展へ研さんを


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 沖縄は、琉球王国時代から個性あふれる固有の伝統文化が息づく。それは県民の心のよりどころであり、アイデンティティーを確認する財産でもある。

 「沖縄文化の個性の美と人類普遍の美を追究すること」を建学の理念に掲げ、1986年に開学した県立芸術大学が30周年の節目を刻んだ。
 地域特有の文化を学び、継承する人材を育む芸術大学が沖縄に存在する価値を改めてかみしめたい。教員と学生が一体となってさらなる研さんと発展に決意を新たにしてほしい。
 開学に全力を挙げた先人の思いを振り返ると、沖縄の苦難の歴史を踏まえた芸大の存在意義が照らし出される。開学に先立つ79年、県立芸大の設立構想を打ち出したのは、当時の西銘順治知事だった。
 行政手法では「本土との一体化」路線を進める一方、西銘氏は「いくらヤマトンチュになろうと思っても、なりきれないウチナーンチュの特色がある」(79年1月1日付、外間正四郎琉球新報編集局長との対談)と発言していた。
 厳しい財政事情にある中、沖縄アイデンティティーへの強い思いを踏まえ、西銘氏は芸大設置にリーダーシップを発揮した。東京芸術大学学長を務めていた、山本正男氏を初代学長に招いたトップ人事は全国を驚かせた。
 「沖縄の未来を開くには人材づくりしかない」という西銘氏の熱意に応えた山本氏はこう述懐する。
 「他にも1、2の芸大作りの相談があったが、国立を要望されたものだった。戦禍によって財政困難な県が、自力でしかも人間形成の基盤に芸術を取り上げたいという抱負に、私は深く感動した」(県立芸大十年のあゆみ)
 県立芸大の特徴に、海外と県民に開かれた大学づくりがあろう。県系人が移住した南米などから積極的に受け入れている留学生は、母国で沖縄文化の普及に活躍している。ハワイの学術機関と交流する事業も展開し、国際性を培う意識は高い。
 那覇市首里のキャンパスを巣立った卒業生は3300人余。古典芸能や交響楽団などの実演家、画家や陶芸家に加え、教員も輩出している。芸術を学んだ学生の進路の厳しさが克服されつつあり、さらに就職率アップを目指してほしい。
 建学の理念を踏まえ、沖縄ならではの芸術文化の継承に向け、先頭に立ってもらいたい。