<社説>新聞週間 不正義に抗い続けたい


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 「新聞を 開くその手で ひらく未来」を代表標語にした「新聞週間」が始まった。新聞は「今」を映すだけでなく、望ましい「未来」も照射する。多面的な報道を通して、新聞に対する期待に応えていくことを改めて誓いたい。

 「政治的公平性」を欠くと判断した放送局に電波停止を命じる可能性に高市早苗総務相が言及するなど、報道機関に対する政府の圧力は年々強まっている。特に沖縄ではそれが顕著に表れている。
 8月には、東村と国頭村に広がる米軍北部訓練場のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設に抗議する市民を取材中の本紙記者ら2人が機動隊によって市民と共に拘束され、取材を妨害された。
 報道の自由、ひいては国民の知る権利を侵害する不当な取材妨害であり、許されるものではない。だが政府は今月、記者の強制排除について「報道の自由は十分に尊重されている」とする答弁書を閣議決定した。
 記者を現場から引き離して拘束し、取材を妨害することが「報道の自由を十分に尊重」したことになるはずがない。沖縄ではこのような不正義がまかり通っている。
 1949年の第2回新聞週間を前に、連合国軍総司令部(GHQ)新聞課長のインボデン少佐は「良い新聞の条件」の一つに「その新聞は日本の民主化のため、あらゆる形式の全体主義を阻止するために戦っているか」を挙げた。
 国益のためとして主要な選挙で示された新基地反対の沖縄の圧倒的民意を踏みにじることは民主主義の否定であり、全体主義にもつながる危険性をはらむ。不正義に抗(あらが)い続け、民主主義の推進力の一翼を担う新聞でありたい。
 沖縄での新聞週間は全国より3年遅れて1951年に始まった。沖縄新聞協会がその年、公募で選んだ標語は「新聞に自由を 民衆に真実を」である。報道の自由と国民の知る権利は不離一体で、その重みは今も変わらない。読者の信頼に応える紙面を提供する使命を全うしたい。
 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」が発表する各国の報道自由度ランキングで、日本は2010年の11位から16年には72位に大きく下がった。安倍政権の強権姿勢への批判の弱さが影響していることを、報道機関全体で重く受け止める必要がある。報道萎縮は国民への裏切りにほかならない。