<社説>普天間爆音判決 司法の安保追従許されぬ 県民の苦悩に向き合え


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 失望を禁じ得ない判決だ。日本の司法は、米軍基地の重圧に苦しむ沖縄県民を救済する術(すべ)を放棄したと言わざるを得ない。

 米軍普天間飛行場の周辺住民3417人が米軍機の飛行差し止めや損害賠償を求めた第2次普天間爆音訴訟の判決で、那覇地裁沖縄支部は従来の基地騒音訴訟と同様、飛行差し止めの請求を棄却した。米軍の運用に日本の法支配が及ばないとする「第三者行為論」が今回も採用された。
 「憲法が上か、安保が上か」(島田善次原告団長)を問う訴訟で、本判決は結果的に日米安保条約を上位に、基本的人権を保障する憲法を下位に置いたのだ。

オスプレイ被害認めず

 県民は日米安保条約・地位協定が引き起こす人権侵害に抗(あらが)い、憲法が定める「健康で文化的な最低限の生活」の回復を求める訴えを司法の場で重ねてきた。
 しかし、今回の判決を含め県民の訴えは幾度も司法の壁にはね返されてきた。司法の「安保追従」は県民の目には明らかだ。
 県民の反対を無視し、強行配備されたMV22オスプレイについて判決は「その客観的な構造上、他の機種に比べて墜落する危険性が高いと認定するに足りる証拠はない」と言い切った。配備によって「原告らの感じる不安感が全体として大きくなったと認めるのは相当とはいえない」とも述べた。オスプレイなどが発する低周波音による健康被害も認めなかった。
 県民はこの判断を受け入れるわけにはいかない。海外で重大事故を繰り返すオスプレイの危険性を無視し、住民の危機感にも背を向け、政府の言い分をなぞるような姿勢は容認できない。超党派による建白書や県民大会を通じてオスプレイ配備に反対してきた沖縄の不安や苦悩と向き合うべきだ。
 本訴訟で原告は日米両政府が締結した「普天間基地提供協定」の違憲無効の確認、爆音状態を国が放置していることの違憲確認を求めた。しかし、判決は「訴えは不適法」として却下した。
 飛行差し止め請求を「第三者行為論」で退け、原告が求める憲法判断を回避した。司法が日米安保に追従し続ける限り、人権救済のとりでにはなり得ないことが今回の判決で如実に示された。
 一定の前進もあった。騒音の違法性を指摘し、心理的負担や精神的苦痛、睡眠妨害に加え、高血圧症発症の「健康上の悪影響」のリスクが生じていると認定した。虚血性心疾患のリスク上昇、低出生体重児の増加などは「事実を認めるに足りる証拠はない」と退けたものの、一部で健康被害を明確に認めた点は重要である。

直ちに不作為改めよ

 判決は、騒音が受忍限度を超えていると認定し、うるささ指数(W値)75以上の原告に月額7千円、W値80以上の原告に月額1万3千円の支払いを国に命じた。将来分の損害賠償請求は退けたものの、県内外の爆音訴訟で過去最高の水準となった。
 賠償額増の根拠を具体的に明示してはいないが、第1次普天間爆音訴訟の判決確定から4年以上経過したにもかかわらず「アメリカ合衆国または被告による被害防止対策に特段の変化は見られず、住民に生じている違法な被害が漫然と放置されている」と断じた。
 騒音防止協定が守られず、その履行を日本政府が米政府に求める措置を取った事実も認められないと指摘した点を含め、騒音被害を防止する政府の取り組みは不十分だと認めたものだ。政府は自らの不作為を直ちに改めるべきだ。
 安全保障上の観点から普天間飛行場の公共性を強調する政府は、爆音被害を「相当程度受忍すべきだ」と裁判で主張した。一方で新基地建設を巡って争う「辺野古訴訟」では「普天間飛行場の危険性除去」を前面に掲げた。
 このような政府の矛盾した姿勢こそ厳しく裁かれるべきだ。新基地建設で全てが解決すると考えているのなら、全く論外である。