<社説>SACO20年 県民不在の合意破綻した 政府は対米交渉やり直せ


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 県民不在の日米合意に固執し続ける限り、沖縄は米軍基地の呪縛から逃れることはできない。代替施設を県内に求める「負担軽減策」はしょせん虚妄にすぎない。
 日米特別行動委員会(SACO)最終報告の合意から20年になる。その本質は負担軽減に名を借りた米軍基地の固定化・機能強化にほかならない。
 その合意が完全に破綻したことは辺野古新基地建設や米軍北部訓練場におけるヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設を巡る混乱を見ても明らかだ。
 県民不在の合意に拘泥してはならない。日米両政府は抜本的な負担軽減策に向け再交渉すべきだ。

沖縄の意思反映されず

 そもそも1996年12月のSACO最終報告に向けた日米両政府の交渉に沖縄側が参画する場面はなかった。基地の重圧に苦しむ当の沖縄が自らの意思を交渉に反映させる道は閉ざされていた。
 その帰結が「移設条件付き」という県民意思とは懸け離れた合意内容であった。「基地たらい回し」「頭越し合意」という批判が上がったのも当然だ。
 SACO合意で返還が決まった11施設5075ヘクタールのうち、現時点で実際に返還されたのは454ヘクタールにとどまる。面積でいえば約9%だ。県内移設という条件が進ちょくを妨げてきた。
 仮に合意に基づく返還が全て実現した場合でも、在日米軍専用施設面積に占める在沖米軍基地の割合は5ポイント程度下がるだけだ。
 米軍再編に伴う嘉手納より南の米軍施設の返還・統合を実施したとしても、最終的には在日米軍専用施設面積の68・6%が沖縄に集中し続ける。到底、沖縄が基地の重圧から脱するとは言えない。
 逆に代替施設の建設によって新たな基地負担を強いるSACO合意に県民は翻弄(ほんろう)されてきた。
 辺野古新基地建設を巡る県と国の係争や海上における過剰警備、ヘリパッド建設に反対する市民運動の弾圧など、さまざまな混乱によって、多くの県民が苦悩し、傷付いてきた。その元凶がSACO合意なのだ。
 これまで県民が県内移設を拒んできたのは、本質的な基地負担軽減にはならないという事実と、自らの痛みを他に押し付けることはできないという心情からであった。
 その沖縄で基地の県外移設を訴え、受け入れを日本本土に求める動きが顕在化している。背景には沖縄の現状を直視しない日本政府の無策とそれを半ば黙認する国民全体に対する不信と憤りがある。
 日本政府、本土国民は県外移設を訴える県民が抱える危機感を軽視してはならない。

オスプレイ配備隠ぺい

 SACO合意に基づき、104号超え砲撃訓練の分散移転、楚辺通信所やギンバル演習場の返還などの返還が実現した。読谷補助飛行場の返還で、村おこしの施策が進むなど一定の成果もあった。しかし、大半の県民は負担軽減を肌で実感しているわけではない。
 今月末、北部訓練場の過半部分が返還される。しかし、ヘリパッド完成後の訓練激化によって、住環境やノグチゲラなど貴重な動植物に重大な悪影響を与えることが懸念されている。既にMV22オスプレイの夜間訓練によって睡眠不足に陥った児童が学校を欠席する事例が報告されている。
 ヘリパッド建設を明記したSACO最終報告の草案段階で米側はオスプレイ配備を記載したのに、沖縄の反発を恐れた日本側が削除させたことが判明している。負担軽減策を隠れみのにして、基地機能強化を進めたのだ。沖縄に混乱をもたらし続ける政府の隠ぺい体質を許すわけにはいかない。
 ヘリパッド建設に対する姿勢を明確にしてこなかった翁長雄志知事もSACO合意の虚構と不条理を厳しく問い続けなければならない。在沖米軍の抑止力に固執する政府の頑迷を打破しない限り、沖縄の抜本的な基地負担の軽減はあり得ない。