<社説>首相真珠湾訪問 「和解の力」アジアに示せ


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 安倍晋三首相は日米開戦の発端となった米ハワイの真珠湾で戦争犠牲者を慰霊した。

 意義ある訪問にするためには、首相の心からの謝罪が不可欠だが、謝罪はなかった。首相演説は、米国の「善意」と「寛容」に感謝し、「和解の力」を強調し「強く結ばれた同盟国として」米国に寄り添う姿勢を示した。現在のテロに通じるような奇襲攻撃についてどう考え、どうすべきかを語らなかったのは残念だ。
 首相は演説で「米国は日本が戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは平和と繁栄を享受することができた」と感謝した。
 1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、敗戦国日本が主権を回復したことを指すのだろう。しかし、首相の言う「私たち」に沖縄は含まれていないことは明らかだ。
 この条約によって沖縄、奄美を含む南西諸島が日本から切り離され、米施政権下に置かれ異民族支配が始まった。その後に繰り返された住民に対する弾圧、人権蹂躙(じゅうりん)、基地被害の源流となった。この日を沖縄では「屈辱の日」と呼んできた。
 それどころか日本復帰後も、米軍専用施設が集中し安全保障の負担を強いられてきた。首相演説に示された歴史観に同意できない。
 首相は日本が「不戦の誓い」を堅持したことを強調し、今後も貫くと述べた。しかし、憲法解釈の変更を反映させた安全保障関連法を成立させ、自衛隊の本来の任務である専守防衛を大きく逸脱する危険な領域へと日本は入った。安倍政権下で日本は「戦争ができる国」へと転換しつつあり、まったく矛盾する発言だ。
 さらにオバマ大統領との会談で、首相は米軍普天間飛行場の移設について「辺野古移設が唯一の解決策」と強調した。辺野古反対の民意を無視し新基地建設を強行する姿勢からは、寛容さも沖縄県と和解する意欲も感じられない。その首相が、米国の寛容さに感謝し「和解の力」を語る資格があるのだろうか。
 米国だけでなく中国、韓国、シンガポールなどアジア各国を訪れ、慰霊と併せて侵略を謝罪するのが筋である。米国とだけ「和解の力」を発揮する二重基準では、日本は国際社会から信用されない。