<社説>新年を迎えて 「復帰の誓い」今こそ 米軍優先に終止符打とう


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 日本復帰から45年となる新年を迎えた。この間、さまざまな困難が立ちはだかった。それを県民の力で乗り越え、時代を切り開いてきたことを誇りたい。

 沖縄は今や名実ともに観光立県となり、自立の道を突き進む。その一方で、米軍基地の過重な負担は今も重くのしかかる。
 過酷な米施政権下にあっても、圧政に抗して主席公選を実現させ、復帰を勝ち取った不屈の精神は今も県民に宿っている。
 安倍政権の強権姿勢にひるむことなく米軍優先に終止符を打ち、復帰時に誓った「平和で明るい豊かな県づくり」にまい進したい。

 国会決議実現せよ

 政府が米軍基地問題で約束した沖縄の過重負担の軽減は、ほとんど成果が見られない。それどころか、基地反対の民意を踏みにじる姿勢がここ数年、顕著になっていることを危惧する。
 その一つの源流は復帰前年1971年の「沖縄国会」にある。沖縄米軍基地縮小に関する決議が採択され、佐藤栄作首相はその直後に発言を求め「基地の整理縮小については速やかに実現できるよう、現在からこの問題に真剣に取り組む方針である」と述べた。
 政治は結果が全てである。結果を伴わない取り組みは、70年余も米軍基地の重圧に苦しむ県民にとっては何ら意味はない。そもそも真剣に取り組んだかも疑わしい。
 「基地縮小」決議は国会でなされたものであり、決議は今も生きている。佐藤首相の「真剣に取り組む方針」も政治の責任として歴代政権が引き継ぐことは当然である。だが安倍政権は「米軍基地機能強化」を「沖縄の負担軽減」と言い換えるなど、不誠実な対応に終始している。
 復帰前は米軍基地と米政府が県民の前に立ちはだかった。安倍政権になってからは、日本政府が県民弾圧に加わったと言わざるを得ない状況がある。
 東村高江集落を取り囲むヘリパッド建設を条件とした米軍北部訓練場の過半返還、宜野湾市の米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古への新基地建設は、いずれも基地機能強化が狙いである。県民の基地負担は確実に増し、国会決議に逆行する。
 国会決議採択と同じ日に沖縄返還協定が承認されている。自民党の福永一臣氏は賛成討論で「沖縄の返還は、全ての点で本土と同じ状態になることは当然である」と述べている。
 国会決議もその趣意が通底していると解すべきである。安倍政権は「基地縮小」決議の重みを踏まえ、直ちに実現すべきだ。

 「未来」自らの手で

 米施政権時代に比べ、沖縄は各分野で大きく発展を遂げてきた。青少年の活躍に勇気付けられた45年と言っていい。
 高校野球では春夏の甲子園で県勢が4度優勝し、その他の競技でも県勢の全国優勝は珍しいことではない。空手、ゴルフなどで県勢は世界でも活躍している。文化活動でも全国一に数々輝いている。国民的な人気を集める県出身の歌手や俳優の活躍も喜ばしい。
 一方で格差が広がり、貧困問題が顕在化している。その一因は沖縄の成長を阻む米軍基地にある。県民総所得に占める基地関連収入は復帰時の15・5%から2013年度は5・1%に減った。基地は沖縄の発展に必要ないのである。
 沖縄の未来を担う子どもたちの健やかな成長を保障するためにも、米軍基地の負担軽減に努めることは社会の責務であることを深く認識したい。
 屋良朝苗主席は復帰前日に発表した談話で「県民自体がまず自主、主体性を確立して、この世紀の大事業と取り組む決意を新たにしなければならない」と県民に呼び掛けた。
 復帰45年は「本土並み」とは程遠い。屋良主席の言葉を胸に刻み、主体性を確立して日米両政府を突き動かし、県民自らの手で「沖縄の未来」を切り開きたい。