<社説>防衛相の資質 9条形骸化は許されない


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 南スーダンの状況をなぜ「戦闘」と認めないのか。

 稲田朋美防衛相は、南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報に「戦闘」との表現があった問題で「法的な意味での戦闘行為はない」と繰り返している。
 自衛隊が戦闘行為に巻き込まれる可能性を認めてしまえば、憲法9条が禁じる海外での武力行使につながり、部隊の撤収を迫られる。稲田氏は戦闘ではなく「武力衝突」という言葉を使う理由を「憲法9条の問題」になるのを避けるためと説明した。
 言葉の置き換えによって事実を隠蔽(いんぺい)することは、憲法9条の歯止めの形骸化にほかならない。閣僚による憲法順守義務違反だ。自衛隊員のリスクも軽視しており、防衛相としての資質を大いに疑う。
 昨年7月、南スーダンの首都ジュバでは政府軍と反政府勢力がぶつかり、270人以上が死亡した。当時の日報は「戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘」や、宿営地隣のビルでの「断続的な射撃」があったと記す。「宿営地周辺での流れ弾や、市内での突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要」とも明記された。
 それを稲田氏はあくまでも「武力衝突」だと言う。政府は戦闘行為を「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し、または物を破壊する行為」と定義する。国際的な武力紛争とは「国または国に準ずる組織(国準)間の武力を用いた争い」と解釈している。南スーダンの反政府勢力は「支配領域や系統立った組織がない」(稲田氏)ため、国準には該当せず、政府軍と衝突しても戦闘行為にはならないとの論法だ。
 防衛省制服組トップの河野克俊統合幕僚長は「目の前で銃弾が飛び交っていたのは事実」と説明しており、隊員は事実を報告したにすぎない。しかし、それが「戦闘」かどうかは、ジュバではなく東京が決める。まさにPKO派遣継続ありきの論法である。
 安倍政権はこれまでも安保関連法を「平和安全法制」、共謀罪法案は「テロ等準備罪」と言い換えた。昨年12月に名護市安部で発生したMV22オスプレイ墜落は「不時着」と説明した。かつて日本軍の退却を「転進」、全滅を「玉砕」と美化した大本営発表と重なる。
 不都合な事態を隠すために、言い換えで印象操作する手法は、全体主義にもつながる。