<社説>爆音対米訴訟判決 国と司法に被害放置の責任


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 米軍の訓練、爆音が住民を死亡させ、あるいは重大な健康被害を与えても米国を裁判で訴えることはできない。一言で言えば、そういう判決だ。

 この国の司法は県民の命よりも米軍を上位に置き、永久に県民に犠牲を強いて恥じない。不当判決に抗議し、「人権の砦(とりで)」に値する上級審の判断を求める。
 那覇地裁沖縄支部は、米軍嘉手納基地周辺の住民が米軍機の飛行差し止めと損害賠償を米国に求めた訴えを門前払いとする却下判決を下した。
 2010年施行の「対外国民事裁判権法」は「外国は人の死亡、傷害、物の毀損(きそん)が当該国の責任を負う行為で生じた場合、裁判権から免除されない」と定める。
 今回の裁判は同法に基づき米国を訴えた初の訴訟である。それが被害実態の実質審理も行わず、法令解釈のみで却下されたのだ。
 対外国民事裁判権法は外国の不法行為に対し裁判を起こす権利を認めるものだ。適用を認めなければ、何のための立法だったのか。
 判決は外国軍隊を裁判から除外する諸外国の事例を挙げるが、ギリシャ最高裁が第2次大戦中にドイツ軍がギリシャ国民を殺害した事件について、ドイツに対する裁判権を認めた事例もある。
 沖縄は米軍機墜落事故、米兵事件、騒音被害が長年続いている。軍事植民地的な人権侵害にさらされ、日本政府が放置している。
 この特異な状況は、村民300人以上がドイツ軍に殺害されたギリシャの事例に匹敵するはずだ。
 沖縄の特殊事情、県民被害に向き合った人権救済を地裁が真剣に考えた判決とは到底、思えない。
 地裁は訴状を米国政府に送達してさえいない。米国に提訴に応じる意思をただしたが、「応じないとの回答があった」とする。
 米国に裁判に応じさせるのは本来、政府による政治の問題だ。外交努力を放棄する政府の無責任さに根本的な問題がある。
 嘉手納基地、普天間飛行場の度重なる爆音訴訟の判決は住民被害を認定しながら、飛行差し止めの抜本措置を回避している。「統治行為論」で米軍訓練に司法は口を挟めないと責任を放棄し、改善の責任を指摘された政府は現状を放置している。
 政府の不作為を司法の不作為が放置する。行政と司法の共犯関係を解消し沖縄の現状に向き合わない限り、基地被害はなくならない。