<社説>外務省事務所20年 県民の声に耳を傾けよ


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 沖縄担当全権大使が代表を務める外務省沖縄事務所がいつの間にか20周年を迎えていた。多くの県民はこう受け止めたのではないか。

 開設から数代の大使の名は頻繁に報じられたが、2009年から定例会見が開かれなくなり、その肉声は米軍の事件事故に対する抗議を受ける時だけしか聞こえなくなった。現12代目の川田司氏の名がすぐに出る県民はほとんどいないだろう。
 沖縄事務所は1997年、橋本龍太郎首相の肝いりで開設された。
 米軍基地の過重負担にあえぐ沖縄の実情を中央政府と米側ににごりのない目で伝え円滑な関係構築に努めるという、本来の設置目的に沿った活動は停滞して久しい。
 20周年記念の招宴で、岸田文雄外相は「これからも外務省は大使と沖縄事務所を通じて沖縄の皆さんの声に耳を傾けたい」と述べたが、うわべだけの言葉に聞こえる。
 基地に起因する問題にあえぐ県民にすれば、今の外務省沖縄事務所は、政府の立場を沖縄社会に押し付け、米軍の円滑な運用を最優先しているように映る。昨年末に墜落したオスプレイは沖縄社会が猛反発する中、わずか6日で飛行再開したが、沖縄事務所は何か手を打っただろうか。
 今回の来県で、岸田外相は保守系9市長と懇談したが、翁長雄志知事と共に、名護市辺野古の新基地建設に反対する稲嶺進名護市長や城間幹子那覇市長は招かなかった。その場で、岸田氏は「辺野古が唯一の解決策」というお決まりのせりふを繰り出した。
 安倍政権の考え方に理解を示す側ばかりに耳を傾けているのではないか。こうしたことは過去にも目に見える形で繰り返された。
 01年、当時の橋本宏大使は、名護市議会から米海兵隊の戦闘攻撃機の訓練空域外での訓練中止を要請された席で、議員の発言を遮り「聞く耳持たない」と声を荒らげ、後日陳謝した。
 一方で沖縄大使が存在感を発揮したことがある。05年のキャンプ・ハンセン内の都市型戦闘訓練施設の建設を巡り、当時の宮本雄二大使は、何度も在日米軍幹部に直談判し、住宅地に近い訓練場の移設にこぎ着けた。地元の反発を受け止め、粘り強い交渉で住民に危険が及ぶ使用を食い止めた。
 沖縄事務所は誰のために何のためにあるのか。政府は、その存在意義を見つめ直すべきだ。