<社説>山城議長を保釈 新基地阻止への弾みに 信条の自由と尊厳守ろう


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 沖縄の民意と人権を組み敷き、軍事植民地に等しい状態に置こうとする日米政府とその強権行使に抗い、私たちは幾度も新たな地平を切り開いてきた。

 それが沖縄の歴史である。
 困難に直面しながらも、ウチナーンチュの尊厳を懸けて抵抗する意思を示し続け、思想・信条の自由を守る価値をかみしめ、新基地阻止への弾みにしたい。
 名護市辺野古の新基地建設や東村高江のヘリパッド建設への抗議行動を巡り、器物損壊、威力業務妨害などの罪で起訴された沖縄平和運動センターの山城博治議長が初公判翌日の18日、保釈された。

不当性は揺るがず

 昨年10月17日の最初の逮捕から5カ月を超える長期勾留がようやく終わった。弁護団による10回を超える保釈請求はことごとく退けられてきた。前日の保釈決定に対し、那覇地検はこの期に及んで異議を唱えた。福岡高裁那覇支部が「証拠隠滅の恐れはない」として棄却したが、あまりに遅い対応だ。
 微罪であり、勾留の必要性が見いだせない山城氏が「禁錮5カ月」に等しい勾留に追いやられ、国際的な人権団体や刑法学者らが指摘した不当性は揺るがない。
 午後8時ごろ、那覇拘置支所前に姿を見せた山城議長はジャージー姿で、長靴は逮捕時に履いていたものだった。頬がこけ、痩せた体に長期勾留の影響がにじんだが、5カ月間、容疑を認めるよう迫る取り調べに屈しなかった。
 保釈の情報が流れ、支援する市民が100人超駆け付けた。山城議長を中心に保釈を喜ぶカチャーシーの輪が広がった。新基地を拒む行動に文化の力を宿す闘いは山城議長が導いたものである。
 勾留中の山城議長を励ます手紙などが国内外から400通超届いた。際立つ基地押し付けの不条理に対する根強い抵抗が正当性を持ち、沖縄社会に共感を広げていることがこの夜にも示された。
 1956年4月、那覇拘置支所に近い旧沖縄刑務所から瀬長亀次郎氏が出獄した際も多数の市民が出迎えた。60年の歳月を超え、同じような光景が再現された。
 米軍の圧政に抗(あらが)い、狙い撃ちされて投獄された瀬長氏は「瀬長の口を封じても、虐げられた幾百万人の口を封じることはできない」と語った。今の沖縄につながる信念に満ちた言葉である。
 保釈後の記者会見で、山城議長は「広く言えば県民への弾圧だ。裁判で無実と無罪、沖縄の正義を訴え、勝利したい」と語った。

「共謀罪」警戒を

 山城議長は2千円の有刺鉄線を切った器物損壊以外の罪を否認し、無罪を主張している。圧倒的な強権の行使に対する政治的な意思表示の正当性を主張し、検察側に堂々と渡り合ってほしい。
 一方、保釈条件で「事件関係者」との接見が禁止された。抗議参加者が「関係者」とされる可能性があり、山城氏の行動は制約を受ける。だが、現段階で口裏合わせや証拠隠滅の可能性はない。運動の弱体化を狙う安倍政権の意図と背中合わせの理不尽な制約を課すべきではない。
 勾留中の山城議長の書面インタビュー報道を巡り、那覇地検が弁護人の仲介を問題視し、執拗(しつよう)に見解をただしていたことも明らかになった。山城氏の心情を伝える報道を抑え込もうという露骨な意図が見え見えだ。
 被告人との接見や書面インタビューを通し、行き過ぎた権力行使に警鐘を鳴らすのは弁護士の職務の一環であり、報道機関としては正当な取材活動である。
 山城議長の言動を封じ込め、孤立させて検察優位に持ち込もうとする地検の行為は「人質司法」の悪弊を助長する。二度とこのような対応を繰り返してはならない。
 捜査の中で、基地反対運動に携わる関係者やメールの送受信記録を警察が手中にしたとみられる。「共謀罪」を先取りするような権限の乱用がないか、公判を通して目を光らせなければならない。