<社説>安保法施行1年 「憲法違反」は変わらない


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 自衛隊による海外任務の拡大や、集団的自衛権行使を認めた安全保障関連法の施行から1年を迎えた。何のための安保法なのか。疑問は残されたままだ。

 2015年6月の衆院憲法審査会で参考人の憲法学専門家3人全員が、法案は「憲法違反」と表明した。多くの憲法学者らが「憲法9条が定めた戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認の体制を根底から覆す」として廃案を求める声明を出す中で、成立したことを忘れてはならない。
 安保法は自衛隊の海外任務の強化と、自衛隊と米軍との一体化を目指す。この1年で国連平和維持活動(PKO)の範囲が拡大し、自衛隊の任務は広がった。その結果、自衛隊が戦闘に巻き込まれる恐れが高まっている。同時に海外で戦争をしていないという日本の国家像を変え、米国と一体化することで日本全体がテロの標的になる懸念も消えない。
 陸上自衛隊が南スーダン国連平和維持活動部隊を派遣する首都ジュバで、昨年7月に大規模衝突が発生した。当時の日報は「戦闘」や「攻撃」などの言葉を使い「戦闘への巻き込まれに注意が必要」と記していた。しかし、政府は「巻き込まれ」の恐れを認めようとしなかった。
 憲法9条は国際紛争を解決する手段としての武力行使を禁じている。戦闘行為ならば部隊が巻き込まれる可能性があり、9条が禁じる武力行使につながる。しかし、9条に違反する可能性を放置したまま部隊を現地に置き続けた。そればかりか、昨年11月には陸自派遣部隊に武器の使用範囲を拡大する新任務「駆け付け警護」を付与した。
 地上戦によって多大な犠牲を出した沖縄戦から72年。今年の渡嘉敷村主催の慰霊祭で、体験者の一人は「戦争では人が死ぬことに慣れてしまう。最近の日本は戦争に向かっているように見える。平和がこのまま続くとは思えなくなった」と語った。重い言葉だ。
 戦争体験者が少なくなる中で、戦争の悲惨さが理解できなくなっているのではないか。かつて国家が脅威をあおり、相手が憎むべき鬼であるという感情操作によって、戦争を肯定する空気がつくられ国民が戦場に駆り出された。「積極的平和主義」「抑止力」という言葉を使って、戦後築き上げてきた平和国家を骨抜きにしてはならない。