<社説>きょう復帰45年 溝深める政府の強権 「国策の手段」にはならない


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 1972年5月15日の日本復帰から45年を迎えた。当日の記念式典で屋良朝苗知事は「沖縄が歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除して、平和で豊かな県づくりに全力を挙げる」と述べた。その決意は実現しただろうか。

 復帰後も改善されない最たるものは米軍基地の重圧だ。事件事故も後を絶たない。しかし、ここ数年の政府の姿勢を見ていると、負担軽減に取り組むどころか、沖縄との溝を自ら深めているように映る。沖縄の民意を無視し、力技で抑え込もうとする強権的政治だ。沖縄を再び国策の手段として扱うことは断固として拒否する。

高まる「不平等」感

 県民にのしかかる基地の重圧は、本紙の県民世論調査結果が如実に示す。復帰して悪化した点として「米軍基地の被害が増えた」が43・7%と初めて最多になった。国や県に望む施策でも「米軍基地の整理縮小と跡利用」が44・6%と過去最も多い割合になった。米軍基地の沖縄集中については70・0%もの県民が「不平等」と感じ、不条理に強い不満を募らす。
 辺野古新基地問題では、県民は数々の選挙で反対の民意を明確に示してきた。にもかかわらず、政府は沖縄の声に耳を傾けず、「辺野古が唯一」とばかり繰り返し、思考停止に陥っている。東村高江集落近くでのヘリパッド建設強行や辺野古新基地工事では、圧倒的な警察権力で市民運動を抑圧し、不当な長期勾留まで招いた。
 一方で、政府は沖縄の状況に詳しくない県外の人たち向けに、恣意(しい)的に説明する傾向も目立つ。昨年12月のオスプレイ墜落では、日米両政府とも「不時着」と矮小(わいしょう)化した。2012年の沖縄配備以来、県民が指摘し続けてきた危険性への対応をうやむやにした。
 昨年12月の北部訓練場の約4千ヘクタール返還では誇張が目に余った。米軍にとって不要な土地を返し、集落周辺へのヘリパッド新設・集約化を図ったのが実態だが、「負担軽減に大きく寄与」と印象操作した。
 沖縄の苦悩に真摯(しんし)に向き合わず、基地問題の本質から目を背けている例は他にもある。
 昨年、元米海兵隊員の米軍属による痛ましい女性暴行殺害事件が起き、県民は悲しみと怒りを共有した。基地の存在を揺るがす大きな事件だったが、政府が再発防止策として出してきたのは、軍属の範囲縮小やパトロール隊の巡回増加だった。米軍駐留という根本原因には踏み込まず、実効性が疑わしい小手先の対応に終わっている。

際立つ「沖縄ヘイト」

 本土との溝で言うと、近年、事実をゆがめる「沖縄ヘイト」が際立っているのが懸念される。インターネット上のデマや中傷に加えて、ついに地上波テレビでも偽情報を流布させるようになった。一部の動きとは言え、この兆候は国民に与える影響を考えると由々しき事態だ。正しい沖縄の状況を全国に伝えていく必要がある。
 「沖縄の経済は基地に依存している」との風説も、間違った認識の一つだ。復帰直後に県民総所得の15%だった米軍基地関連収入は、5%台まで落ちた。基地経済の限界ははっきりしており、もはや基地は経済発展を阻害する最大要因でしかないというのは県民にとっては常識だ。
 観光業の伸びは目覚ましく、沖縄経済を力強くけん引している。他にも、IT企業の増加や那覇空港の国際貨物ハブの成功が効果を上げている。沖縄は経済成長率も全国トップクラスの伸びで、長年の課題であった「自立経済」は輪郭が見えてきた。こうした正しい沖縄像を伝え、県外との認識の溝を埋めていかないといけない。
 米統治下で、沖縄は圧制を受けながらも人権や自治、民主主義を自らの手でつかみ取ってきた。日本政府の強権に対しても、粘り強く民意を示し、あらゆる手段で抵抗し続ける必要がある。それは「国策の手段」にならない沖縄の未来を描くことにもつながる。