<社説>あす翁長氏県民葬 沖縄のこころ継承したい


社会
この記事を書いた人 琉球新報社

 在任中の8月8日に死去した第7代沖縄県知事の翁長雄志氏の県民葬が9日、那覇市の県立武道館で営まれる。多くの県民に惜しまれながら、この世を去った。あらためて哀悼の意を表したい。

 翁長氏は知事就任からこの世を去るまでの3年8カ月を、ウチナーンチュの誇りと尊厳を取り戻す闘いにささげた。それは米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設の阻止を掲げ、その信念を貫き通したことに表れている。
 2014年9月の知事選出馬会見で、翁長氏はこう述べた。
 「豊かな自然環境は今を生きる私たちだけのものではない。これから生まれてくるウチナーンチュの宝物でもある。イデオロギー(思想)よりもアイデンティティー(自己同一性)に基づくオール沖縄として、子や孫に禍根を残すことのない責任ある行動が今、強く求められている」
 沖縄が一つになる必要性を沖縄の政治家の誰よりも痛感していた。それは出馬表明5カ月前の討論会で「沖縄県民は自分で持ってきたわけではない基地を挟んで、基地だ、経済だと大げんかをしてきた。上から目線で本土の人が見ているような気がして、とても許せない。やはり県民はまとまって取り組まないといけない」と述べていたことからも分かる。
 だからこそ互いの立場を超えた「腹八分、腹六分で目標を設定し、県民が一つとなった運動」を呼び掛けた。それこそが「イデオロギーよりアイデンティティー」による結束の根底にある。
 知事選は現職に10万票という大差をつけて圧勝した。翁長氏の訴えが多くの県民の心に響いたからだ。翁長氏はその期待を背に、辺野古新基地建設で強硬姿勢を崩さない政府に、敢然と向き合った。
 知事就任から4カ月後の15年4月、菅義偉官房長官との初会談の場で、辺野古移設を進める政府の姿勢を「日本の政治の堕落だ」と批判し、建設阻止のため一歩も引かない覚悟を示した。そこには県民の思いを成し遂げるため、何も恐れない強固な信念を持つ政治家の姿があった。
 そして同年5月の新基地阻止の県民大会で、翁長氏は壇上から県民の気持ちを代弁する言霊を発した。
 「うちなーんちゅ うしぇーてーないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)」
 会場から割れんばかりの拍手が湧き起こった。県民がどれほど勇気づけられたか。
 今年の慰霊の日、沖縄全戦没者追悼式の平和宣言で翁長氏は「戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する『沖縄のこころ』」を世界に伝える決意を示した。
 県民葬では多くの参列者と共に、翁長氏の遺志を受け止め「沖縄のこころ」を継承する契機としたい。